短歌を楽しむ - 短歌教室

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梧桐学作成の短歌の手引き書です。PDFファイルです。下のリンクをクリックすると別ウィンドウで開きます。 


短歌とは
・音節(シラブル)が(原則として)五・七・五・七・七の五句31音からなる、日本古来の定型短詩。元は長歌に対する反歌(和歌)
・ 千三百ー千五百年の歴史
・ 知られる最古の和歌は・・・・・
古事記の中の須佐之男命歌
「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」


短歌の句読点 - 短歌教室

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 「遠く住む母の様子が写メ-ルで瞬時に見れて一安心す」(つれづれ)

母の元へ行けないときは、弟から(母の)元気な様子が写メ-ルで送られてきます。それを見て安堵する自分がいます。よろしくお願いします。

現代はIT時代で、メ-ルもその一つですね。便利な道具です。お作の中の「見れる」は、いわゆる<ら抜き言葉>ですね。正しくは「見られる」。(最近は、「見れる」など<ら抜き言葉>がひんぱんに使われていて、特に「見れる」など、新しい辞書には入れられているかもしれませんね。が、ここではやはり避けたいと思います。)

添削:
「遠くに住む母の様子が弟から写メ-ルで送られ瞬時に安堵」(つれづれ)

(なお、短歌中に句読点を使うことについてですが、短歌の語の流れによっては一息入れた方がよい、と思われることがある場合、その度合いによって一字分空けるか、「、」を打つか「。」を付けるか、することがあります(そんな場合でも敢えてしないこともありますが)。切れ方がこの順に(あとの方ほど)強くなるわけですが。もちろん、どうしても入れなければならないものでもありませんし、やたらに入れる人もいます。)

「櫛の歯の抜けるごとくに戸を閉ざしセピア色なす商店街は」(すずむし)
買い物に出かける時、かつては賑やかだったろう商店街を通り抜けてスーパーへ行きます。私がこの町に嫁いで来た頃はまだ人影がありましたが、30年余の間に全く様相が変わってしまいました。時代の流れ、変化は止めようが無いんですね・・・これから20年後はまたどうなっていることやら・・・。(この歌は前に似たような歌を見たような気がします。その歌が頭に残っていたかもしれません。)

わが街でも同様で、メインの本町アーケード街はシャッターを降ろしたままの店が大変に多いです。目立った特徴のある(希少価値ある)店は残っていますが。。。短歌では「櫛の歯の抜ける」というような、使い古された言葉は避けたいところですが、次のようにすれば救われましょう。。。

添削(改作例):
「櫛の歯が抜けるようにの喩えのごと閉店増えゆくわが商店街」(すずむし)

形容詞 - 短歌教室

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 「ありがたき二百三十七枚賀状受く恩師の近況丁寧に読む」(未歩)
 

添削:
「ありがたし、二百三十七枚の賀状受く。恩師の近況は丁寧に読む」(未歩)

お言葉を有り難うございます。お年賀状は今年頂いた総数の事です。申しわけございませんが、「ありがたき ・ し」のご指導をお願い致します。

「ありがたき」は形容詞「ありがたし」の連体形ですね。ですから、「ありがたき二百三十七枚の賀状」と続けますと、「ありがたき」は直接「二百三十七枚の賀状」を形容することになります。ですから、有り難い237枚の賀状、それを受け取った、とれます。「ありがたし」ですと、ここで一旦切れることになります。それで添削歌のように初句を「、」で区切りました。この「、」はなくてもいいのですが、ここで小休止することを明示するために入れました。

「鉢植ゑの花木を大方地に植ゑり古里を出るを決めし朝に」(広)
すっかり古里に適応してましたから、離れづらいですね。

4年が経過し、故郷の生活に慣れられたところを、思い切って決断されましたねぇ。お作で示されている行為は、また戻って来ることを想定されたものなのでしょうけれど。。。ところで、口語の「植える」は文語では「植う」で、<植ゑ(ず)、植ゑ(て)、植う、植うる(時)、植うれ(ば)、植ゑよ>と変化するワ行の下二段活用(未然形「植ゑ」の「ゑ」が e-音です)の動詞です。下二段活用の動詞は、完了(過去)を表す「り」はとりません。。。「けり」、「たり」なら、その連用形に付きますね。

(旧仮名):
「鉢植の花木をおほかた地に植ゑけり古里出づるを決めし朝に」(広)

「冬の陽の真黒き雲に沈むれば海鳥なきて激しく飛びかう」(がんこきよ)
先日、ある漁港に写真を撮りに行ったとき、夕日が黒雲に隠れて沈んだ時に、海鳥が騒いで飛び回っていました。その情景を詠ってみました。添削宜しくお願いします。また「沈むれば」と言う表現が文法上正しいのか・・・ご教授願います。

何か劇的な情景のようですね。海鳥たちにも、太陽が雲に隠れて暗くなることは不気味なのでしょうか。なお、終止形で考えて、口語の「沈む」は、文語でも同様に「沈む」ですが、未然形が「沈ま」で、この「ま」の発音が ma で a-音を取りますね。そのときは四段活用(マ行)の動詞と解ります。すると、その変化は<沈ま(ず)、沈み(て)、沈む、沈む(時)、沈め(ば)、沈め>(それぞれ、未然形、連用形、終止形、連体形、已然形、命令形)となりますね。ですから、「沈むれば」とはならず「沈めば」ですね。自ら読んでみて変だと思われたので、質問されたのでしょう。つまり、文法は言葉遣いの習慣をまとめたもの、ということが、そのことからも解ります。なお、ついでに書きますが、以上の「沈む」は自動詞(述べる主体自体の行為)です。一方、同類の動詞の他動詞(他に働き掛ける行為)に口語なら「沈める」があります。(つまり、何かを「沈める」(他動詞)わけですね。)これの文語は「沈む」で、終止形では自動詞と同形です。これは<沈め(ず)、沈め(て)、沈む、沈むる(時)、沈むれ(ば)、沈めよ>と変化しますね。未然形が「沈め」で、「め」の発音が me で、e-音です。この時は下二段活用(マ行)の動詞です。そして、已然形は「沈むれ(ば)」です。お作ではこれを使われた形ですが、ただお作では「冬の日」が雲に沈むわけですから、自動詞でないとまずいわけです。つまり、自動詞であるべきところに他動詞を使われたことが、読んで変な感じを与える理由です。

添削:
「冬の日の真黒き雲に沈みゆき海鳥さわぎて激しく飛びかふ」(がんこきよ)

要らない言葉 - 短歌教室

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「接骨院の電気治療は心地よくしばしまどろむ幸せ感じ」(つれづれ)
お世話になっている接骨院の電気治療は気持ちよくて、ついついその間眠ってしまいます。よろしくお願いします。
結句ですが、「至福の時間」とした方が 良いのでしょうか? 

わたしは経験ありませんが、接骨院の電気治療はそんなに心地良いものですか。なお、「心地よく」という言葉が前にありますから、「幸せ感じ」も「至福の時間」も要らないでしょうね。

添削(口語新仮名):
「接骨院の電気治療は心地よくてついうとうととまどろんでしまう」(つれづれ)

「物言わぬ絵より顕ち来るメッセージたじろぎ聴きつ無言館出ず」(タイム)
戦没画学生の絵を観て来ました。物言わぬ絵なのに。。。

あとで「無言館」という語が出てきますから、初句の「物言わぬ絵」は言わず、「戦没画学生の絵」であることを入れたいですね。

添削:
「戦死せし画学生らの絵の霊気にたぢろぎにつつ無言館出づ」(タイム)

「大人びて吾(わ)を諭す子にフ、と笑むは「あーちゃん」と纏うを抱きしめた日々」(すずむし)
今は二人とも大人びて何かと私を諭す子供たち。「うん、そうだね」「わかった」「ごめん」など あいづちを打ちながら、内心幼かった頃のことを、写真を見ながら思い出し・・・嬉しいような、悔しいような・・・。

子供たちの成長は早いですからねぇ。。。「老いては子に従い・・」とは言いますが、諭すように言われては、嬉しいだけではなく、悔しくもありますね。
添削: 「「かーちゃん」と纏はりくるを抱きしめし子らなり今は吾を諭し言ふ」(すずむし)

先生!子供たちは誰も教えないのに、お母さんといえない頃「あーちゃん」と呼んだのです。二人目もそうでした。「あーちゃん」では駄目ですか?

「あーちゃん」は「かーちゃん」のミスタイプかと思ったのです。それと、「あーちゃん」とされると大抵の人はそう思うでしょうね。もちろん、すずむしさんとしては「あーちゃん」とされたいわけですから、そうされては?それに、元々添削は絶対こうでなければいけません、という種類のものではありません。こうされたら(原作より)よくなるでしょう、ご参考に、というものです。唯一絶対の添削などありません。

散文的ですね - 短歌教室

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「偉そうに生徒に人生語っては自分の空洞(うろ)の深みにはまる」(そよこ)
高校で教員をしています。立場上、生徒に対していろいろな話をすることになるわけですが、“偉そうに話しているけれど、一体自分がどれほどのものか”と感じることが多いです。生徒に語れるほどの、誇れるほどの、何か核になるものを持っていない自分を感じます。
「偉そうに」と「生徒に」で「に」が重なるのが気になるような、まあいいような・・・。また、「うろ」の正確な漢字は「洞」だと思いますが、「空洞」のほうが表したいことに合うと思い選びました。いかがなものでしょうか。。。

「偉そうに」は、いかにも散文的ですね。自分自身のことはともかく、若者たちに生きる道を説かなくてはならないのは、教師というものの因果なのでしょう。いちいち自省しない先生も多いでしょうから、それをされるだけでもそよこ先生はえらいですよ。

改作例:
「生徒らに人生語るも務めゆえ。語ってのちに自省はすれど」(そよこ)