2001年9月アーカイブ

写生歌

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「夜に舞ふ蝶といはむか蝙蝠の影の如くにむれて飛び交ふ」(桐子母さん2001年9月28日

いい主題ですが、描写がもう少しです。特に「影の如く」が効果的ではありません。何かの影の如く、なら分かりますが。この場面では、蝙蝠そのものが影なんですね。そのように詠むといいわけです。また、初句の「夜」も、昔なら暗黒を連想したのでしょうが、現代はそうと限りませんね。ネオンまたたく夜もあるわけですので。

添削・改作(梧桐):
「闇に舞ふ群蝶と言はむ蝙蝠ら影のみ見せてはげしく飛び交ふ」 (桐子母)
これなら、蝙蝠の妖しい雰囲気も出ますね。

やわらかさを出す

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「一夏を咲き続けゐし百日紅秋空のもと青き実結ぶ」(すみえさん2001年9月28日

庭に白色のさるすべりがほんとうに百日咲くように、ずっと咲いていました。歌を作るようになるまでは無頓着で、恥じいるばかりですが、一夏中咲いていることも気がつきませんでした。ただの写生ですが、自分が感動した事でしたので詠みました。

ははは。ただの写生ですか。単なる状況報告歌と活きた写生歌は違いますね。写生歌の場合、感動があって写生をするわけですから、対象を活写することでその感動が読者に伝わるわけです。要するに、歌に感動の裏付けがしっかり籠もっているかどうかで、単なる写生歌あるいは状況報告歌の類か、すぐれた短歌かの差が出ます。また、単に写生と見えて、その実は作者の人生観などが裏に込められていることもありますね。短歌も色々です。

添削・改作
「ひと夏を白さるすべり咲きとほし いま秋空に青き実むすぶ」 (すみえ)

いい写生歌ができました。(これも状況次第ですが、やわらかさを出すため、漢字の羅列はなるべく避けるようにしました。短歌は三十一音をあまり切らないでひと息に書き下すのがいいのですが(これも状況次第ですが)、読みやすくするために、「咲きとほし」と「いま」の間に、(全角ではなく)半角分の空白を入れました。)
このように、作歌というものは色々こまごまとした配慮をするものです。まあ、作歌に慣れてからでいいのですが。

推敲の仕方

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「幾千の群れなす魚のうろこかな銀にかがやく海のさざなみ」(桐子さんお母様2001年9月23日

きれいな歌ですね。このままでもいいのですが、いま少し起伏をつけると、印象がさらに強くなります。(「幾千」と「群れなす」がちょっと重複しますね。幾千といえば、群をなすことでしょうから。「海の」も言わずもがな、かな。「魚のうろこ」だと、断定しているのも、ちょっと気になっています。比喩としての断定的表現がないわけではないのですが・・・。)綺麗な素材なので、つい厳しい注文をしてしまいました。

添削
「幾千の打ち合ふ魚のうろこかと銀にかがやくさざなみを見つ」 (桐子母)

さらにダイナミズムを出すなら、次のようにも詠めるでしょう。男歌(おとこうた)になってしまいますが・・・。
改作
「幾千の打ち合ふ魚体の鱗光か銀にかがやく鋸歯状波列」 (桐子母)

(鋸歯状波列=きょしじゃうはれつ)

「やはらかきひかりさしこめる窓辺にて検水管を透かしつつ見る(幸乃さん2001年9月17日

「検水管」はあまり一般には使わない語ですね。水を使う装置などで、水量や水の状態を目で見て検査・調査するために付けられた透明なガラス管ですね。それを秋の柔らかい日差しに透かして見ているのですね。幸乃さんの仕事の一端がうかがえそうです。「さし込む」は「射し込む」とも,「差し込む」とも書きます。前の方が一層強い日差しを思わせますね。

添削
「やはらかな秋の日が差す窓辺にて検水管を透かしつつ観る」 (幸乃)

「観る」は集中して見ることですから、ここでは「見る」よりふさわしいです。「見(けん)の眼」、また「観(かん)の眼」といいます。前者は、「うらやかに見る目」であり,対象の全体像を捉えようとするときの眼です。後者は「注視する眼、対象の細部・局部を見極めようとする眼」です。現代ではその使い分けはあいまいですが、短歌では表意文字としての漢字の特性を生かしたいものです。


写生歌

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短歌を始めて作ろうとすると、まず今日見てきた綺麗な景色やお花のことなどを歌にしたくなりますね。そんな写生歌の作歌のポイントは?

写生するにはそれなりの動機があるわけです。つまりその情景になんらかの理由で感動し、短歌の形にしてそれを読者に伝えたいという動機があるわけですから、動機の質と、短歌に詠みこむ時の工夫で、単に写生と見える短歌にも読者は十分感動を覚えるものです。それがかってのアララギの人たちが主張した「写生歌」ですね。物を生き生きと写して、もってその背景にある情感なり感動を伝える、という極意です。

「川辺利に釣糸垂れて居眠りの父の魚篭には陽が射すばかり」(酔狂さん2002年7月10日

改作(梧桐):
「釣糸を垂らして居眠りする父の耳洗ひつつ清流ひびく」(酔狂)
あるいは、
「居眠りする父の釣糸風に揺れ小道具むなしく春の陽を吸ふ」(酔狂)

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