2002年1月アーカイブ

「霜枯れし河原に黒き犬の立つ おまえもひとり孤独を食むか」(fumikoblueさん2002年1月8日

初句「霜枯れし」は少し変。「霜枯れの・・・」とはよく言いますが、「霜枯れ」を動詞として使うのはどうでしょう。結句「孤独を食むか」は強い印象の言葉ですね。詩語としては成り立つでしょう。その前の「おまえもひとり」の「も」ですが、そのニュアンスにはどうしても「わたしもそうだが」という含みがあります。そう解釈していいのですね。つまり、文子さんも孤独であると。いや、むしろ、ご自分が孤独だから、こうした孤独な犬に惹かれるのだと、こういう解釈になっていくわけですが。「ひとり孤独を食むか」の「ひとり」と「孤独」は意味的に重複していますね。(効果がある時は、わざと同じ(ような)言葉を重ねることはありますよ。)作歌には、こうしたこまごました配慮も必要でしょう。繊細にして微妙です。

添削:
「霜枯れの河原にたたずむ黒犬さん、孤独の味を噛みしめてるの?」

全体を犬への語り掛けとし、口語表現としました。口語とは、もともと話し言葉のことですからね。

「稲妻の」でもそうですが、文語と口語の使い分けがいまいちよくわかりません。今回も混乱しています。何か参考になる辞書のようなものがありましたら、お教えください。

こればかりは妙案はありませんね。文語旧仮名遣いかどうかは、「古語辞典」などで確かめることだと思います。初めの内は、どの語も不確かで、ほとんどみな調べる羽目になりますが、これも経験を積まれれば、大体解るようになると思います。日本の古典文学を読むのもいいかもしれません

歌の焦点

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「手をつなぎ歩きし我が子 学び舎へ見守られたる園あとにして」 (きよしさん2002/01/16

この歌、いつも手をつないだりしてまつわりついていた幼い子が小学校へ上がるんだという感慨と、色々お世話になった幼稚園への感謝の念とがだぶっていますね。こうした場合、短歌ではどちらかに絞って詠むとうまくゆきます。両方を詠み込むこともできますが、焦点がぼけて、先生へのお礼の歌としては弱くなるのです。(あるいは、二首の連作とするか、ですね。)

ご参考詠(口語短歌です;二首連作):
「幼くて親にまとわりついていた愛(いと)しいこの子がもう小学生」(きよし)
「さまざまなご慈愛受けた幼稚園お陰でこの子も小学生に」(きよし)

(「この子」のところに、お子さんの名前を入れるのもいいですね。)

歌の焦点

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「我が夫の病床に 見舞いし友の花束 水仙からあじさいへ」 (加奈江さん2002/01/13

「病床の夫に会いし早朝の 窓辺に見ゆる寒椿 我と同じか頭重たげ」 (加奈江さん2002/01/13

なるほど、いずれも思いが余って、短歌になっていませんね。(内容は深刻であり、うまくまとめれば人の胸深くを打つ、いい歌になるはずです。)こういう時は、一番詠みたいことは何か、を自問し、それに焦点を当てて作歌するといいですよ。詠み込めない分は、主題を生かす最低限の要素以外どんどん切り捨てるのです。そうした上で、短歌という定型詩の持つ律調が出せるように、言葉選びをするのです。勿論、調子良過ぎて言葉が流れ過ぎてもいけません。その当たりは経験を積むことで会得するしかありません。

添削:
「我が夫(つま)の病床、見舞ひの花束のはじめ水仙いまは紫陽花」(加奈江)

「病む夫(つま)の部屋の窓辺に寒椿吾が頭(づ)の如く重たげに咲く」(加奈江)

「やわらかい雪をかぶれる萱原に稲妻のこし キセキレイ飛ぶ」(fumikoblueさん2002年1月7日

殺伐とした冬景色(もっとも、ここでは雪化粧した萱原)でも、きらめくような美しい瞬間があることを、この歌は述べていますね。そこをうまく捉えられた。
 歌や添え書きで言われる「稲妻(型)」というのは、鶺鴒の描く飛行曲線のことなのですね。少し解かり難いかな。また、キセキレイは、黄セキレイで、ここは色を印象づけるために、漢字を使われる方がいいでしょう。短歌は、まず字面が目で見られ、そして読まれますからね。その第一印象が大事なのです。しかし、全体としては、キレのあるいい歌です。「セキレイ」と片仮名にされたところなど剛直な感じの「稲妻」と呼応していて適切ですしね。それと、初句「やわらかい」との対比も生きています。(ただし、これは文語短歌ですから、「やはらかな」がいいですね。あえてここだけ新仮名とする理由はないようです。
 添削では、もう少し語調を整えます。

添削:
「やはらかく雪のおほへる萱原を稲妻ゑがき黄セキレイ飛ぶ」(fumikoblue)

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