2002年7月アーカイブ

「シャーシャーシャー横隔膜を震わせて明日無き命鳴いて雌呼ぶ」 (詩男さん2002/07/28

クマゼミですね。あの鳴き方は大変に勇ましいです。近くで聞くとさらにそう感じます。数匹が同時に鳴いたりしたら、もううるさくてかないませんね。幼いころ、農村に住んでいたときは、まさに夏を感じさせる鳴き声で、好きでしたね。あぶらゼミやみんみんゼミよりも体がかなり大きく貫禄があり、しかも羽根が透明ですから、尊敬すらしていました。虫捕り網で捕まえたりしたときはもう宝物のようでしたよ。しかし、それも今は昔の話でして、あおぎりの現在の住居付近ではさっぱり聞かなくなりました。ちょっと郊外に出れば聞かれますが。
 さて、歌ですが、「横隔膜」とか「雌呼ぶ」とか、理科の勉強にもなりそうですね。それがまた短歌としては少し煩わしいのです。短歌は理屈を詠むものではありませんから。もっと優しく、感じたままをお詠みください。感動をお伝え下さい。(専門家が専門分野のことを詠んだりするときは止むを得ないこともありますが。)

「おり」

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「透かし見る袋の中の小さき梨すき間をうめつつ秋を待ちおり」
(桐子さん2002/07/22

添え書きでなるほど、です。つまり、まだ小さい梨の実が袋で包まれていて、それが日光に透けて見えており、あとは想像で、実が大きくなるにつれ、袋と梨の間の隙間が埋められて行くだろうという発想ですね。捉えどころに妙がありますが、少し理屈っぽいかな。  結句の「おり」ですが、もともと文語の「をり」で、これを口語的に「おり」としたものなのでしょうが、これは文語でもなく、口語新仮名でもない、中途半端な語です。口語にしたければ「いる」とすればいいわけですから、まさに変な日本語の一つ。この語は現代短歌世界に氾濫していて、困ったものだと思っています。
添削:
「日に透ける袋の中の小(ち)さき梨育つがほどに袋を満たす」 (桐子)

 気丈夫に居酒屋(みせ)を守りし女将(おかみ)なれど
 肺炎病みて寂しき言葉          (迷倫さん
2002年

いつも快活な女主人ですが、肺炎を患らったとたん意外に弱音を吐きました。
終句は「言葉寂しき」の方が流れが良さそうですが「言葉」を強調するため敢えて体言止めにして見ましたが如何でしょうか?

現にまだ「みせ」を守っておられるのですか、それとも病気のため店じまいされたのですか?「守りし」は過去形です。病気のため休店であるとしても、少なくとも「みせ」はいつでも再開できるようになっているのですね。「寂しき言葉」か「言葉寂しき」か、ということですが、その前に、その言葉(弱音)が何なのか、断片でもいいですから、具体的に言われた方がよほど効果があります。
 一般に、名詞ないし体言止めは、思考を停止させます。余韻を封じ込める感じになります。その壁をなお乗り越えて余韻を残すには、言葉の斡旋上の技量がそれなりに要求されます。用言止めでは、動きがつづくので、比較的余韻を残せ易いと言えます。

添削:
「居酒屋の明るく気丈な女将(おかみ)にして肺炎病めば急に弱音吐く」 (迷倫)

写生歌

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「川辺利に釣糸垂れて居眠りの父の魚篭には陽が射すばかり」(酔狂さん2002年7月10日

改作(梧桐):
「釣糸を垂らして居眠りする父の耳洗ひつつ清流ひびく」(酔狂)
あるいは、
「居眠りする父の釣糸風に揺れ小道具むなしく春の陽を吸ふ」(酔狂)

コロコロリ

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「コロコロリじゃが芋堀て紫のサラダじゃが芋色鮮やかに」 (夢子さん2002年7月6日

ハハハ、よろこぶ夢子さんが目に見えるようです。擬音語が生きています。
色は赤いのですか、紫なのですか。上の添え書きでは赤、歌では紫。きっと赤紫なのでしょうよ。

添削:
「コロコロリ サラダじゃが芋紫の色鮮やかに転がり出てくる」(夢子さん)

清々しい 

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「川岸の鳥のさえずり聞きおれば雲のたれたる朝も清しき」(由里さん2002/07/04

この時期に鶯の声が聞こえるなど、こちらでは考えられません。いいところにお住まいですね。もちろん、ちょっと山手まで出向けば、夏でも鶯が鳴いていますが。。。いい環境ですから、いい歌も生まれ易いですね。まさに清々しい歌です。結句は「清けし」または「清明けし」(さやけし)がいいでしょう。「清々しい」はあっても「清しい」は本来ないわけですので。(「清し女」(すがしめ)という名詞があり、「すがすがしい女」のことで、つまり「すがすがしき女」を縮めたもの。ただ単独の形容詞「すがし」はないのです。)
 この歌、全体としてはほとんどこのままでいいですね。

添削:
「川岸の鳥のさへずり聞きをれば雲のたれたる朝も清けし」(由里)

※試しにパソコンのキーボードで すがすがしい と打って変換すると 清々しい(清清しい)と変換されますが すがしい と打って打って変換しても 変換されませんね。
「歌ひとつ詠みたき梅雨の昼下がりよみきれぬまま何時かまどろむ(桐子さん2002年7月3日

前作に続いてこれもうまい。確かにこの歌では「ひとつ」がいいですね。歌というものがよく解ってきましたね。「よみきれぬまま」の「よみ」は漢字がいいでしょう。「詠みきれぬまま」。行為をはっきりさせるには漢字がいいですから。前に同じ文字がありますが、気にならないし、むしろそれを受けたことがはっきりしていいです。文字の重複という問題も、普遍的規則にはならず、個々の短歌で考えるしかありません。

添削
「歌ひとつ詠みたき雨の昼下がり詠みきれぬまま何時かまどろむ」 (桐子)

(この場合「梅雨」はちょっとくどい感じを与えます。「雨」でいいですね。そうすれば、梅雨時という特定の季節の枠も外れて歌が生きるという利点も生じます。一般には、時、時期や場所などを具体的に入れて、読者に歌の焦点を与える効果が出ますが、それがいつも成功するという普遍則はないのです。やはり個々の歌で考えるしかありません。)

歌の焦点

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「歌ひとつ詠みたき梅雨の昼下がりよみきれぬまま何時かまどろむ」 (桐子さん2002/07/03

前作に続いてこれもうまい。確かにこの歌では「ひとつ」がいいですね。歌というものがよく解ってきましたね。「よみきれぬまま」の「よみ」は漢字がいいでしょう。「詠みきれぬまま」。行為をはっきりさせるには漢字がいいですから。前に同じ文字がありますが、気にならないし、むしろそれを受けたことがはっきりしていいです。文字の重複という問題も、普遍的規則にはならず、個々の短歌で考えるしかありません。

添削:
「歌ひとつ詠みたき雨の昼下がり詠みきれぬまま何時かまどろむ」 (桐子)

(この場合「梅雨」はちょっとくどい感じを与えます。「雨」でいいですね。そうすれば、梅雨時という特定の季節の枠も外れて歌が生きるという利点も生じます。一般には、時、時期や場所などを具体的に入れて、読者に歌の焦点を与える効果が出ますが、それがいつも成功するという普遍則はないのです。やはり個々の歌で考えるしかありません。

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