「透かし見る袋の中の小さき梨すき間をうめつつ秋を待ちおり」(桐子さん2002/07/22)
添え書きでなるほど、です。つまり、まだ小さい梨の実が袋で包まれていて、それが日光に透けて見えており、あとは想像で、実が大きくなるにつれ、袋と梨の間の隙間が埋められて行くだろうという発想ですね。捉えどころに妙がありますが、少し理屈っぽいかな。
結句の「おり」ですが、もともと文語の「をり」で、これを口語的に「おり」としたものなのでしょうが、これは文語でもなく、口語新仮名でもない、中途半端な語です。口語にしたければ「いる」とすればいいわけですから、まさに変な日本語の一つ。この語は現代短歌世界に氾濫していて、困ったものだと思っています。
添削:
「日に透ける袋の中の小(ち)さき梨育つがほどに袋を満たす」 (桐子)
「川岸の鳥のさえずり聞きおれば雲のたれたる朝も清しき」(由里さん2002/07/04)
この時期に鶯の声が聞こえるなど、こちらでは考えられません。いいところにお住まいですね。もちろん、ちょっと山手まで出向けば、夏でも鶯が鳴いていますが。。。いい環境ですから、いい歌も生まれ易いですね。まさに清々しい歌です。結句は「清けし」または「清明けし」(さやけし)がいいでしょう。「清々しい」はあっても「清しい」は本来ないわけですので。(「清し女」(すがしめ)という名詞があり、「すがすがしい女」のことで、つまり「すがすがしき女」を縮めたもの。ただ単独の形容詞「すがし」はないのです。)
この歌、全体としてはほとんどこのままでいいですね。
添削:
「川岸の鳥のさへずり聞きをれば雲のたれたる朝も清けし」(由里)
※試しにパソコンのキーボードで すがすがしい と打って変換すると 清々しい(清清しい)と変換されますが すがしい と打って打って変換しても 変換されませんね。
「歌ひとつ詠みたき梅雨の昼下がりよみきれぬまま何時かまどろむ」(桐子さん2002年7月3日)
前作に続いてこれもうまい。確かにこの歌では「ひとつ」がいいですね。歌というものがよく解ってきましたね。「よみきれぬまま」の「よみ」は漢字がいいでしょう。「詠みきれぬまま」。行為をはっきりさせるには漢字がいいですから。前に同じ文字がありますが、気にならないし、むしろそれを受けたことがはっきりしていいです。文字の重複という問題も、普遍的規則にはならず、個々の短歌で考えるしかありません。
添削
「歌ひとつ詠みたき雨の昼下がり詠みきれぬまま何時かまどろむ」 (桐子)
(この場合「梅雨」はちょっとくどい感じを与えます。「雨」でいいですね。そうすれば、梅雨時という特定の季節の枠も外れて歌が生きるという利点も生じます。一般には、時、時期や場所などを具体的に入れて、読者に歌の焦点を与える効果が出ますが、それがいつも成功するという普遍則はないのです。やはり個々の歌で考えるしかありません。)