2003年1月アーカイブ

歌の焦点

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「職はなれこたつにはまり歌詠むに冬の日の出の光まばゆき」(詩男さん2003/01/22

お宅から海が見えるのですね。しかも東の海で、朝日が見られる。いいですねー。(そうか、神戸あたりならあり得ますね。)「まばゆき」か「まばゆし」かですが、どちらも使います。前者は連体形止めで(「まばゆき光」の転置形)、やや余韻を残す形。後者は終止形止めで、一応言い切る形ですね。結局語感の問題でしょう。
 歌ですが、後半の情景が良過ぎるといいますか、いかにも絵画的で、劇的な美しさですね。それと前半にある「職はなれこたつにはまり」といった日常的な形而下的行為との対比が面白いところです。つまり、この歌には主題が2つあるということです。退職してこたつでごろごろ?(失礼!)している、ということと、美しい海上の日の出の光景です。主題が複数あると、歌は大抵失敗します。焦点がボケてしまうからです。それを救い生かすには、一方を他方の引き立て役、修飾句となるように詠むことですね。

改作例:
「定年後の冬はこたつで歌を詠む時には海の日の出を見つつ」 (詩男)

心象詠と心理詠

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確かなる道見あたらず振り仰ぐ裸木透す永久の青空 (かすみさん2003年1月21日

心象詠と心理詠とは異なるのでしょうか?

この歌で「振り仰ぐ裸木透す永久の青空」は実際の光景ではなくてかすみさんの心に浮かんだ裸木であり青空なのでしょう。すくなくとも心深くに投影された景色でしょうね。それを詠まれたこの歌は心象詠と言えます。ただ、前半が心の中の葛藤に似た心理が表白されており、心理詠としての要素もあります。つまり、心象詠は何か心的なことが原因で心に描かれた(あるいは浮かんだ)景色・情景を詠んだものであり、心理詠は心の微妙な機微を詠み、読者の心理に強く訴えてくる(作者の心理が投影される)要素の強い歌と言えましょう。端的に言えば心理描写が主体の歌、ということになります。その意味では、心象詠はもっぱら作者個人の自己表現にかかわりますが、心理詠は作者の個にかかわりがありながらも、他者の心理を詠むこともありますね。
 歌ですが、「裸木透す」は「はだかぎすかす」と読ませるのですね。道が見あたらないことと、永久の青空の関係が少し分かり難いかな。これだけ個人的な歌には余人は手を触れない方がいいでしょう。このままで。

昨日、朝刊(朝日新聞1月12日)を読んでらしたあなたは社会面(22ページ)啄木の記事の見出しをご覧になって、「おかしいよォ~」と一言。「どこが?」と聞くと・・・ホント!見出しに『女性装った手紙と写真に「こよなく美しき人と思つ』とあります。本文(リード部分)にはちゃんと『こよなく美しき人と思つ----』と書かれていますのに。。。



私の歌も何時も適当で新仮名遣いと旧仮名遣いが混じっていたりしてる。。。(^^;

「中世の石の建物現存し流刑の民の苦労を伝う」(ゆう子2002年12月19日

添削:
「中世の石造建築現存し流刑の民の労苦を伝ふ」

(「石の建物」は少したるい。「苦労」もそう。また、「伝う」は新仮名なら「伝える」、それではこの場に合わないから、旧仮名の「伝ふ」だね。


「道端の残菊哀れ目を留める人も無きまま朽ち果てていく」(ゆう子2002年12月19日
これも文語旧仮名遣いがふさわしい歌だね。全体的にはよくまとめている。ただし、初句「道端の」はいただけない。「道の端(は)の」。

添削:
「道の端(は)の残菊哀れ目を留むる人も無きまま朽ち果ててゆき」

雪あがりミントの緑鮮やかに風邪ひき吾子に摘みてハーブティー (遊起さん 2003年1月4日

ハーブ茶は風邪にもいいわけですね。子供のころ風邪を引いたときなどは何かの葉を煎じた熱いお茶を大量に飲まされたことを思い出します。発汗を促すためだったと記憶します。あれも一種のハーブ茶だったのでしょう。

添削:
「雪あがりミントの緑鮮(あたら)しく摘みて煎じむ風邪の子のため」 (遊起)


いつも拙作を丁寧に添削していただき感謝しています。何か歌の体を成していないのではないかと、恥ずかしい限りです。良い本があれば紹介していただけないでしょうか。

短歌入門書はたくさんあります。ちょっとした規模の書店に行かれれば書棚に並べられているはずです。ただ、そうした本を読まれるのも一法でしょうが、このHPの「短歌教室」や歌集を読まれるのが、さしあたり手っ取り早いと思いますよ。まあ、沢山作って、慣れる以外ないのでしょうけれど。また、ひとの歌集を沢山読むのも役立ちますね。歌の節調が知らないうちに身に着くものです。

毎日わけも分からず始めた短歌に添削して下さり有難うございます。勉強の本について質問しましたが、あおぎりさんの今までの歌を読ましていただいていますが、文語表現や難しい漢字の読み方に苦労しています。ルビがほしいところです。私の添削が文語調に変わっているのは、理由があるのですか。昨日のハーブティーは、ハーブティーの言葉を残してほしかったのですが、、?(題にしましたので)不躾をお許し下さい。


歌の内容によっては、口語の方がいい場合もありますが、もともと簡潔表現を旨とする短歌は文語に向いた詩形です。それが現代でも文語短歌が盛んに作られている主たる理由だろうと思います。書道をお遣りになり、良寛さんが好きと仰る遊起さんの歌は、口語より文語に向いたものが多いので、つい添削も文語となるわけです。もちろん、口語短歌も捨てたものではありません。しかし、発想から口語的でないと、つまり発想が文語的なのは、なかなかうまく口語で収められないのです。折角の内容が、悪く言えばどうしても間が抜けたような感じになってしまうのです。このあたりは今後続けられることでお分かり頂けるものと思います。
 わたしも、短歌を作り始めた若いころ、ある結社の同人誌に投稿すると、こちらの考えたものとは違うものに添削されて載せられていて、決していい気持ちではなかった時期がありました。特に、気に入った語句を入れた歌が全然別の言葉で添削されている時などは、勝手にこんなふうに変えてしまって、と不快でさえありました。(今時なぜ文語か、とも思いましたよ。)しかし、
後々思えば、添削担当の先輩方は、添削した内容は内容として、歌の形を示して呉れていたのだと合点したものです。

 そうした先輩方には及ばずながら、この短歌添削BBSではわたしなりのポリシーで添削させて頂いている次第です。もちろん、ご参考として、ということです。ただ、添削には誠意を尽くしておりますので、その点は誤解なきようにお願い致します。
 自分は口語でいく、とお決めになるのも、一つの姿勢ですね。そのときは、せめて一首の中では口語(新かな使い)で統一して下さい。(意識的に、ある種の効果を狙って、部分的に文語的表現や旧仮名遣いをされることはいいでしょうが。)
 実は、此の種のことは、これまで何度も書かせて頂いたことなのです。新たにご投稿される方には、また改めて申し上げることになりますが。
 書に馴染むのは、やはり文語正統派短歌だとは思いますよ。(良寛を読まれるのであれば、文語も気にならないと思いますが。)
 とにかく、色々ご疑問も起こりましょうが、ドンドンご投稿下さい。その中で疑問にもお答え出来ましょう。

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