2006年9月アーカイブ

区切れ

| コメント(0) | トラックバック(0)

「秀吉にゆかりの深き黒金糯雄の老樹なり秋空に伸ぶ」(広)
秀吉が朝鮮に勢力を伸ばすため当地まで出かけた際に同人から授かったクロガネモチだそうです。老樹ながら今も立派で県指定の文化材です。これまで添削を受け,4句切れがいいかなと思い字余りながら作りました。

十六世紀の末の方になって政治的最高権力者になった秀吉は、気宇壮大な領土拡張構想を練り上げていたようですね。国境というものが今ほど明確ではなかった当時、ヨーロッパ列強がそうしたように(彼らは東南アジアまで触手を伸ばして来た)、日本とて周辺の国々への進出を考えることは、あながち無法ではなかったのですね。朝鮮半島経由で(当時の)明国に攻め入り、政権を獲得して、北京に天皇を迎え、自分はもっと海岸よりの都市に政庁を構え、天皇よりさらに上の皇帝としてアジアに君臨しようとした(後の大東亜共栄圏に相当するような組織体の構築を考えていたらしい)。その意気やよし、です。当時すでに明国は弱り果てていたので、全くの誇大妄想でもなかったのですね。ただ、他国へ侵攻するにしては戦闘準備が十分ではなかった、兵はたちまち疲弊してしまった。かくて惨めな退却を余儀なくされた・・・。

添削:
「秀吉にゆかりの深き黒金糯いま老樹として秋空に聳ゆ」(広)

 なお、四句切れが良い、というわけではありません。その歌にはそれが良い、ということです。歌ごとに考えるべきことです。本来は、短歌はひと息に詠み下すのが理想ですね。ただ、短歌にはまた、色々な形式に対する順応性があるということです。どんな形式であれ、それなりの必然性が感じられなければならないでしょう

「しめやかに二人に降るる花の雨煌らかな日も共にや去らぬ」(理絵)
初投稿でドキドキしてます。おっちょこちょいな者でBBS2とBBSがあることを知らずに2の方に一度投稿してしまいました。。初心者なので改めて投稿します。
元々詩をよく書いていましたが、短歌も少し書くようになりました。今とは季節外れになりますが、以前春に書いたものです。まだ文法的にどうしようか思案しているところなので、何かアドバイスがあればお願いします。

理絵さんは十代ですね。詩を作るとのことですが、それなら詩才十分ですね。短歌も詩の一種、臆せずどんどん詠んで下さい。これは最初の一首ですが、恋人とのデートの様子かな。「降るる(花の雨)」は文法的に問題あり、また「去らぬ」の「ぬ」は、「去る」の未然形についているから否定の意味になり、真意に合わないのでは?歌の意味は、雨のように散る桜の花とともに、二人のこのきらめくような日々も去っていくのかなあ、、といったところですね?(そういうことを詠んだつもりですね?)

添削:
「しめやかに二人に降りくる花びらのきららかな日もやがて去らんや」(理絵)

添削ありがとうございました。歌の意味はおっしゃる通りです。
三好達治の「甃のうへ」と私の好きな歌を参考にして、無常観を表現したく書いたものです。

文法的なところですが、「降るる」というところに問題があるとは思っていませんでした。。
「降る」は4段活用で連体形の場合「降るる」となる、というのは私の思い違いでしょうか。文語で書くのには少し勉強も兼ねているので、良かったら具体的に教えてください。
「共にや去らぬ」は「や」が係助詞で反語として、強調したかった部分です。いろいろと考えて迷っていたのですが、改作していただいたものの方が、分かりやすいですね。参考になりました。
これからもよろしくお願いします。

『文法的なところですが、「降るる」というところに問題があるとは思っていませんでした。。「降る」は4段活用で連体形の場合「降るる」となる、というのは私の思い違いでしょうか。文語で書くのには少し勉強も兼ねているので、良かったら具体的に教えてください。』
に答えていなかったようですね。改めて、ここに回答しておきます。文語として、動詞の「降る」(終止形)はラ行四段活用ですね。これの変化は<降らず、降りて、降る、降る時、降れば、降れ>で、つまり語尾が<ら、り、る、る、れ、れ>という変化で、(ら、り、る、れ)と四段に変化しますね。ですから、連体形は「降る」で(終止形と同形)、お作では「降る(花の)雨」が正しいのです。ただし、完了を表す助動詞「り」を使って「降れる」とすることは出来ます。この「る」は四段には已然形に付くので、「降れる(花の)雨」ならいいですね。これは「降った(花の)雨」という意味になりますが。

文法の説明ありがとうございました。「るる」になるのは下二段活用でしたね。「降れる(花の)雨」としても「り」という助動詞には完了と存続の意味があるので「降っている」の訳にはなる気がしますが。ただ、文法というのも勉強してみると時代によって使われるものが違うので、今文語として使うのにはどれを使うのがふさわしいのか考える時があります。基本的に奈良時代の文法というのはあまり使われておらず、それ以降の文法の決まりが現在の「文語」に当たるものかと思われます。

そうですね。そのあたり説明が不完全でした。「降れる雨」で、「降った雨」だけではなく、「(今も)降っている雨」、という意味も含んでいると解することも出来ますね。どちらかは、前後関係から判断されるべきものですね。存続を表すとの解釈は「降れる」を「降りある」の短縮形ととることから出てきます。なお、おっしゃるように、文語は時代によって多少変化していますが、特定の時代を前提とはせず使うようです。一首ごとで、最適な用法を、ということですね。

「樺日と呼ぶ新聞の一ページ宗谷の門波ウエブにて見る」(暮秋)
もはや日本の領土ではなくなり、油田のことなどで国際問題になってもいるサハリンですが、なぜか地名などに興味があります。山口誓子(新比古=本名)が樺太日日新聞の叔父のところにいたのはわりと知られています。有名な俳句「流氷や宗谷の門波荒れやまず」から本歌取りならぬ俳句取りをちょっとやってみました。歌になるでしょうか。

サハリン問題というのは、今はガス田開発関連ですね。日本の大手企業などが2兆円もの巨費を投じているこの共同開発事業、クレムリンの一声で頓挫しかかっていますね。あちらにもそれなりの事情があるようですが、実に不誠実きわまりありません。アメリカまでが口を出し始めて、正に波高し、の情勢です。暮秋さんの場合、豊富な知識はいいのですが、知識のつまみ食いならぬ、つまみ取り、千鳥縫いで、歌意が透明ではありません。短歌は字数制限が厳しいですから、何を詠まれたいのか(読者にどんな感動を伝えたいのか)を整理され、定型化されてはいかがでしょうか?公表するからには、もっと読者を意識して作歌して欲しいと思います。複雑で直ぐには解からないように詠まれたものが深くて高尚な短歌だというのは間違いだと思います。本歌ならぬ本句と言われる誓子の俳句は、壮大なイメージが明瞭であり、句意も透明ですね。

「かたたたきかたたたくだけ親の肩たたきたたかれ高まる愛情」(白糸)

もももすももも・・・のような言葉遊び的な短歌はアリでしょうか?初めて添削してもらうのに、このような短歌ですみません。けれど、自分自身ではこういうのを詠むのが好きです。

詩情を失うことがなければ、定型化することで大抵は短歌になりますね。程度の問題ですが、遊びは短歌の一つの要素と言えるのでしょうね。それと、同じ言葉を繰り返して感動を強めるのは一つの作歌手法です。もっとも、読み手に感動が強まった効果が素直に伝わる限りにおいてであり、一般的には同じ言葉や似たような言葉の繰り返しは避けたいですね。言葉の重複感が残るような詠み方は避けたいです。お作ですが、「かた」の音の繰り返しが快く響き、ある程度成功していますが、結句で標語のようになってしまいましたね。一工夫し直して下さい。

「入国に二時間余りの検問所チエコはEU圏にあらずや」(比叡)
ドイツからチエコに入国するとき二時間待たされました。まだ社会主義の改革が充分ではないのかと思いました。結句の「や」「か」の一般的な使い方について教えてください。宜しくお願いします。

「や」、「か」と言いましても色々な用法がありますね。おそらくここではご投稿歌の末尾にあるような用法(疑問、あるいは反語)に限定してのことと判断されます。上の用法では「チエコはEU圏ではないのだろうか?」という疑問というより、「チエコはEU圏ではないのか、いやEU圏(の筈)だ」という反語ですね。「か」も同様な用法がありますね。疑問、ないし反語。だから、どちらを使うべきかよく迷う、と言われるのでしょう。一つの違いは「や」は動詞や助動詞の終止形に付きます。ですから、上の用法は(「あらず」は終止形なので)正しいですね。一方、「か」は連体形に付きますね。だから「あらずか」はまずいということになります。「あらざるか」ならいいですね。但し、上の場合は字余りとなります(気にしなければいいですが)。こうした付き方の違いの他に、語としてのひびきが違いますね。「や」に比すれば「か」はちょっときついひびきです。もっとも、一首としての語の流れがありますから、その流れの中でどちらのひびきが妥当か、ということで、一首ごとに判断する必要があります。結論として、上の歌の場合は「や」が妥当ですね。それにしても入国手続きに2時間余もかかっては困ったものですね。旧社会主義の残影の影響もあるのでしょうが、テロ対策としての検問強化の影響もあるのかもしれませんね。

添削:
「二時間余も入国手続きに消耗すチエコはEU圏にあらずや」(比叡)

作歌の姿勢や手法

| コメント(0) | トラックバック(0)

「咲き誇りしむくげ衰え蕭条と茶室に雨の降る音を聴く」(宋見)
今日の茶花を考えて、夏の茶花「むくげ」がひとまわり小さくなり衰えを感じ、さてどう活けようかと茶室の外の秋雨の音を聴きながら考えております。いつも親切なご指導有難う御座います。
私の歌は感情移入が過多で修飾が多すぎるのかな、もっと冷徹な眼で現実を見つめ余計なものを削ぎ切った真実を伝えなければいい歌は詠めないのだろうかなどとかんがえこんでおります。如何なものでしょうか。

槿ももうおしまいですね。「蕭条と茶室に雨の降る音を聴く」ですと「蕭条と」が雨の降る様子の形容ととられ、「蕭条と茶室に雨の降る 音を聴く」と繋がりそうですね?なお、作歌の姿勢なり手法の件ですが、色々と試みられて自得されるしかないと思います。もっとも、宋見さんに関しては、それほど考え込まれることはないと思いますが。

添削:
「咲きほこりし槿おとろへ蕭条と降る雨の音茶室にこもる」(宋見)

「新しき色をほどこし粧へば見慣れた顔のやわらかくなる」(恭子)
久しぶりに新しい色の化粧品を買いました。色自体はダーク系ですけど、別の色で初めて化粧をする時は、何時も気分が浮き立ちます。普段の仏頂面も、何となく、微笑んで見えます。

これは鏡に向かって化粧している図ですね。顔が主体ですから髪の毛ではなく、口紅ですね?

(旧仮名):
「新しき色をほどこし粧へば見慣れし顔のやはらかくなる」(恭子)

(新仮名):
「新しい色をほどこし粧えば見慣れた顔がやわらかくなる」(恭子)

何時も添削有難う御座います。今回はアイシャドウとチークでした。口紅を変える時も、気持ちが変りますね。

先生に教えて頂きたいのですが、「えば」と、「へば」の使い方の
違いが判りません。ネットで色々調べたのですが、旧仮名、新仮名
以外でも、両方での使い方があるようです。
私は以前から、混乱を起していました。私自身は、「歌へば」とか
使っていました。
先生の短歌教室の5段活用を拝見すると、この場合は「え」となっていますよね・・・
区別は何なのでしょうか??本当にバカな質問で申し訳ありません。。

「えば」と「へば」の区別、ということではありません。「・・ば」は文語(旧仮名)なら動詞の已然形に付きますね。「粧ふ」(よそほふ)はハ行四段活用の動詞ですので、その已然形は「粧へ」で、それで「粧へば」となるのです。一方、新仮名(口語)なら「・・ば」は仮定形に付き、「粧う」(よそおう)はワ行五段活用の動詞であり、その仮定形は「粧え」なので、「粧えば」となるのです。なお、本添削サイトでは、(短歌の品格を保つためと、言葉の乱れを促進させないよう)一首の内では旧仮名か、新仮名のどちらかに統一することを旨としています。世の中、新仮名と旧仮名が(一首の内で)入り混じった短歌が多いことは承知していますが。これは一種の日本語の乱れだと思っています。言葉が生命の短歌では避けるべきでしょうね。もちろん、旧仮名短歌でも、新仮名を部分的に使うのが自然である場合もあるし、逆もあり得ますね。それは意識的に、ある種の効果を期待したときですが。そういう例外はあっていいとしています。(旧仮名短歌でも、会話部分は口語でもいい、とかですね。)新仮名短歌であっても、旧仮名が慣用されている言葉は旧仮名でいいとか、色々です。(例:「(今は)亡き人」など。)

「又今日も点滴室に横たえてぽたり静かな投与を受ける」(風子)
微熱がなかなかとれません。肺炎は完治したというものの。病院の点滴室には静けさが満ちています。

まだ点滴が必要なのですね。お大事に。。。お作で、「横たえて」ですと他動詞ですから目的語が必要です。「身を横たえて」。それでは字余りですが。「横たわって」なら自動詞ですからいいですね。

添削:
「今日もまた点滴室に横たわり投与を受けるぽたりぽたりと」(風子)

サ行五段活用動詞

| コメント(0) | トラックバック(0)

「私まで届いた歴史思うなり父の遺せし著書を読みつつ」(アン)
私の父は63歳で逝きました。死の直前に出した「枯草露滴」という本を読んで行くと若い頃にはわからなかった父の仏の教えを聞いてくれという思いがとにもかくにもこの私にまで伝わってきました。

ご父君の著書<枯草露滴>は随筆でしょうか、日記でしょうか、あるいは自分史でしょうか。お父さんの言葉といわれる「仏の教えを聞いてくれ」の意味、我々にはちょっと解かりませんが、きっと尊いお言葉なのでしょう。作中の「歴史」もちょっとあいまいかも。一言で表現するのは困難なのかもしれませんが。なお、全体としては旧仮名の短歌なのでしょうね?新旧が入り混じっていますが。「遺す」はサ行五段活用の動詞ですから「し」は連用形「遺し」に付きます。

添削(旧仮名):
我が身まで届きし歴史を思ふなり父の遺しし著書を読みつつ」(アン)
添削(新仮名):
「私まで届いた歴史を思ってます父の遺した著書を読みつつ」(アン)

「胸までの稲穂掻きわけ稗を刈る媼は露に濡れるを厭わず」(比叡)
稲の間に生えている稗を刈るため媼は露の降りた田圃に入りて露に濡れながら作業をしてしていました。農業の仕事の忙しさ、辛さを目の当たりに見ました。宜しくお願いします。

この場合、稗(ひえ)は夾雑物以外の何物でもないわけですね。刈り除く作業は大変そうですね。

「胸までの稲穂掻き分け稗を刈る媼は露に濡るるを厭はず」(比叡)

添削の「濡る」の活用について「濡れる」としましたが添削では「濡るる」と御連絡いただきました。「るる」は連体形 になりますがこの辺よく分かりませんのでお教えください。

元歌の「厭わず」(厭はず)は旧仮名ですね。それで、これは旧仮名短歌と判断しました。すると「濡れる」という語法はないわけです(新仮名になるので)。「濡るる」はおっしゃるように「濡る」の連体形です。「濡るる(の)を厭はず」あるいは「濡るる(こと)を厭はず」ですね。()内の体言はしばしば省略されます。「濡る」と終止形にしてしまいますと、ここで一旦歌が切れるわけですが、この場合は明らかにまずいですね。目的語を取る「を」に続きませんから。

カテゴリ

アーカイブ

Powered by Movable Type 4.22-ja