2006年10月アーカイブ

ちょっとした配慮

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「「可愛そう」は野菜作りに禁句だと義母は得意気に青虫つぶす」(愛)
今、義母から野菜作りを教わっています。無農薬、有機栽培は、けっこう手のかかる作業で、自分たちの食べる糧を作るのが精一杯。ネットをかぶせて蝶の来るのを防いだり、それでも青虫がとまっていればつぶしてしまうのです。「得意気」という言葉に替わる語句がどうしても考え出せません。御指導宜しくお願いします。

そうしたお義母さんの行為が愛さんには「得意げ」と見えたのなら、そう表現するしか仕方がないわけですが・・・。批判の匂いがちょっとするのでは、と気になるのでしょうね。ともかく、「無農薬、有機栽培」での野菜作りを教わりながら、その苦労も同時に教わっているわけですね。次世代へは愛さんが教え手となる。

添削:
「「可愛そう」は野菜作りに禁句だと義母は無造作に青虫を潰す」(愛)

元歌の「青虫つぶす」では語が流れて青虫への焦点が弱くなるので、字余りになりますが、あえて「を」を入れ、また行為がはっきりイメージされるよう「潰す」と漢字にしました。短歌は、こうしたちょっとした配慮が案外に効果のある場合が多いものです。歌詠みは、そうした配慮を厭わないものですね。)

「丸太組筵の暖簾楽屋口傾城花魁サンダルで立つ」(実華)
「懸命に子供歌舞伎を演じ終えシャツターチャンスピースと納まる」(実華)
地芝居はカメラマンがいっぱい。チャンスは一挙手一動がすべて 絵(写真)になります。常磐津「将門」の娘滝夜叉姫が扮する花魁も、歌舞伎「白波5人男」達も舞台を離れてのアンバランスが面白かった。

実華さんの短歌は名詞(単語)が並ぶ場合が多いようですね。一種の用語上の癖なのでしょうが、調子よく読めることもありますが、(固い印象を与える)漢字が並んでいる割に軽い感じになっています。“てにをは”をうまく使うといいですね。

添削:
「丸太組の楽屋に筵の暖簾垂れ傾城花魁サンダルで立つ」(実華)

「懸命に子供歌舞伎を演じ終えシャツターチャンスにピースで収まる」(実華)

旧仮名の合う歌

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「年輪のような襖の下貼りの埃を払い胸躍らせる」(実華)
古文書調査は埃との戦いです。市から委託された旧家の襖は新聞紙や反古紙等何段にも貼ってあるのを丁寧に埃を払いながら剥がしていきます。いつ頃(何年)のどのような古文書が出てくるかワクワクします。

そういうお仕事ですか。それは困難なお仕事ですね。そういう古文書ですと、書かれてある文字も草書体か何体かもわからないようなものもあるのでしょうね。解読が大変ですね。お作ですが、初句「年輪のような」だけでは却って誤解されそうです。これは旧仮名の合う歌ですね。

添削(旧仮名):
「古襖下貼り重なり年輪なす埃払ふさへ胸の躍りて」(実華)

常套句

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「天高く穂高の山脈(やまなみ)白く初み紅葉の里から冬を見ゆ」(伊那佳)
(天高くアルプスの山脈白く初み紅葉の飛騨路に冬のおとずれ)
紅葉を見に安房トンネルを抜け新穂高ロープウエーで西穂高口(2156m)から北アルプスを見ました。里の紅葉は遅く、山の頂は初雪が積もり冬景色でした。(冷たい秋雨の後の好天気でした。この初雪で穂高で遭難者が出ました・・山は怖い)

初句の「天高く」は余りにも使い古された常套句です。また「白く初み」は変ですね?さらに「見ゆ」は自動詞ですから「冬を見ゆ」のような表現は出来ませんね(「冬」という目的語を取っているのは変)?()内は別案でしょうか?ところで、伊那からならアルプス連山へ行くのは容易ですね。遭難者が出るほどの急な天候変化がなければ・・・。晴天でさえあれば、今の時期の(日本)アルプスは観賞するには絶好ですね。

改作:
「初雪の穂高の山脈空に冴ゆ紅葉(もみぢ)の里から遠く望めば」(伊那佳)

食卓に加熱二分とメモのあり昼の一餉と妻は書きゐし」(比叡)
退職後お互いに入れ違いの事があります。帰宅後妻は不在で簡単な電子レンジの用意がしてありました。結句のゐしですが、ゐきか、ゐつか迷います。また3句と結句がダブっていますでしょうか。宜しくお願いします。なお望月の歌、添削有り難う御座いました。こんかい8回目でした。毎年開かれています。

ゐし」ですと連体形止めですね。その必然性はないのでは?「ゐき」なら終止形です。ただ「ゐつ」の方が語の流れ、語感としていいようですね。しかし、そうしたことの前に、お気付きのように「メモのあり」と「書きゐ(つ)」が重複ですね。

添削:
昼の一餉、加熱二分と食卓に妻のメモあり いづくに行きし」(比叡)

(結句ですが、奥さんの行き先はわかっているのでしょうけれど、一句分空きましたので・・・。。)

「白萩のベールが包む彼岸花燃ゆる赤さへたをやかに見ゆ」(紗柚)
根に毒を持ち真っ赤な色をした彼岸花は単独で見ると強烈な印象を与えますが白萩に覆われてぽつんと咲く姿は可憐でたおやかに見えました。

「死びと花」「根腐れ花」などども言われ、墓地で咲いているのがよく見掛けられるため、だけではなく、「根に毒を持つ」ので、あの華麗さにも拘わらず、彼岸花(別名は曼珠沙華)を嫌う人が多いのですね。一方で、古く「赤い花なら曼珠沙華・・・」と歌われ、山口百恵にも<曼珠沙華>という歌がありました。曼珠沙華は<天上に咲く花>という意味だそうですし。この花ほど明と暗の両面を持った花は他に無いでしょうね。このお作では好意的に見ておられます。「白萩のベールが包む」という表現は工夫されたのでしょうが、却って解かりにくくなりました。

添削(改作):
彼岸花の燃ゆる真紅をこぼれつつ載る白萩がたをやかに見す」(紗柚)

「撓みつつ枝たおやかに咲き乱るる白萩紅萩とめどなく散る」(比叡)
今萩が満開です。通るのに困るぐらいはみ出しています。また散り始めています。秋全開です。宜しくお願いします。

(俗称)萩寺と言われるお寺へいきますと、本堂に至る通路に沿って両側から萩が溢れていますね。先日見てきたお寺では左側が白萩、右側が紅萩の波でした。もうかなり散ったあとだったのが残念でした。散り萩もまたいいのでしょうけれど。「撓みつつ」と「枝たお(を)やかに」とは意味的に重複していますね?

添削:
「道ふさぎ枝たをやかに咲き乱るる白萩紅萩とめどなく散る」(比叡)

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