2006年11月アーカイブ

重複感が否めない?

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「松原の治水の杜の静けさや豊かな尾張野豊作の秋」(とよ子)
秋の一日、木曾三川公園へいってきました。こちらは、小学生の遠足で大変賑わっておりましたが、道路をはさんだ隣の治水神社は人影もなくひっそりとしておりました。何だか忘れられているようで、ちょっと寂しく思いました。こんな事を思うのも、歳のせい??おかげさまで、尾張野は豊かになりました。老人の独り言、、ごめんなさい、よろしくお願いします。

おっしゃるように、折角そこまで遠足したなら、生徒らに治水神社も見せて、治水の意義を説明すれば、よい教育になりますね。今のような機械類の無かった昔は、先人の皆さんが治水にいかに苦労されたか、思えば有り難いことです。お作「・・・豊かな・・・豊作」は重複感が否めません。あとは、さすがにお上手ですね。

添削:
「松原の治水の杜の静けさよこの尾張野の豊作の秋よ」(とよ子)

「想いでは夕焼けのように焼きついて母と子の笑顔が雲に浮く」(伊那佳)
今日は介護認定5の母を見舞いました。昨日より雪が厚くなった仙丈ヶ岳、散りゆく紅葉の寒々しい風景を見ながら向かいました。心が重くなり時々車を止めて夕焼けを見つめました。2人暮らしは寂しく、賑やかに暮らした時の家族の笑顔が雲のように浮かびました。施設で車椅子になり6年目の認知症の母、亡父、遠方の子らを思うと昔が懐かしくなります。

つまり、今はご夫君との二人暮らし。ご父君既に亡く、(何人か不明ですが)お子さんたちは巣立っておられ、遠方で生活しておられる。これでようやくご家庭の状況が把握出来ました。かっては賑やかな家庭だったのでしょうね。今の寂しさもある程度は想像出来ます。時々認知症で病院か介護施設に入っておられるご母堂を見舞うわけですね。時は深秋、山々に囲まれたところとて、寂しくも寒々として来るのでしょう。胸をかきむしられるような昔日の家庭団欒の想い出。お作で「想いで」は「何かに追い立てられるような想いでその場を去った」といったときの「想いで」ではないわけで、やはりはっきりと「思い出」あるいは「想い出」としたいものです。言葉芸術の短歌ですから、定型、節調、語感といったことのほかに、一字一字を大切に吟味したいですね

改作:
「想い出は茜のように焼け焦げて母、子らの笑顔が赤雲に浮く」(伊那佳)


「想い出」にするつもりでしたが、「想い出」の語彙は寂しいです。楽しかったことが本当に過去になってしまったようです。
「想いで」で曖昧にしてしまいましたが私の気持だけを優先しました。

改作:
「想い出は茜のように焼け焦げて母、子らの笑顔が赤雲に浮く」(伊那佳)

単なる事実報告?

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「丸ごとに柿をかじれば半渋でシブシブ顔して種だけ捨てる」(伊那佳)No.2
最初は:「丸ごとに柿をかじれば半渋でもったいないのでシブシブ食べる」No.1
*本当はNo1が実感でしたが<もったいないので>がセコい感じもするのでNo.2に変えました。
甘柿を植えたはずですが、半渋柿になってしまいます。高冷地向きでなかったのか?品種改良ミスなのか解りません。生で食べれば甘渋いです。干し柿用には糖分が多いので色黒になりカビが生えやすいので苦労します。秋には美しく、小鳥が喜んでくれます

甘柿のつもりだったのが甘渋柿が生ったのですね。干し柿にしてもせいぜい小鳥の餌。もったいないから、渋みを我慢してとにかく(種以外は)全部食べたと。食べてみれば結構イケて、文字通り三船敏郎や高倉健のような渋みのある柿だった・・・ならいいのですが。お作、「丸ごとに」の「に」は変ですね。柿を丸ごと食べるというのは、一口で全部を口に入れる、という意味ではなく、皮も剥かず、幾つかに切ることもせず、丸い形のまま食べる、ということですね。一口齧れば自分の歯型がくっきりとつきますね。「シブシブ顔」は、解からないでもない造語ですが、歌語としてのきれいさに欠けますね。「お金をシブシブ出す」といった言葉もありますしね。さらに、NO.1にしろNo.2にしろ、詩に成りきらず、単に事実報告になっていませんか?ご趣旨を生かしつつ、少しは短歌らしくしますと・・・

改作例(口語新仮名):
「大口あけ柿を齧れば甘渋で顔ゆがめつつ食べおおせたわ」

説明書き

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トマトになり人を待たせる18分これが限界サラダになれぬ」(遊葉)
約束の行き違いで、人を待たせてしまい待ち合わせ場所に電車で向かいました。突かれたらプチンとはちきれそうなほど早く着いて欲しいと張り詰めた車中の18分。柔らかなドレッシングと交わる余裕など無い心境でした。その時を歌にしましたが、このように状況をお伝えしてもよろしいのでしょうか?

このように状況説明など添え書きをしていただけますと、お作がそれをどれだけ伝え得ているか解かりますし、お作だけからは何を言われたいのか解からないときに助かります。添削の参考になるのです。このお作も喩えが効いておらず、大変解かりにくい歌になっていますね。添え書きが無かったらどなたも理解出来ないでしょう。(なお、短歌は原則的にはそれ自体のみで伝えたい感動がよく伝わるように詠むことが求められます。実際、古来秀歌と言われる歌は、大抵は説明書きなしで、読んで直ぐ感動するものですね。ここでは添削の参考として、状況説明などを添え書きして戴いていますが。)お作で、「トマトになり人を待たせる」はご趣旨に照らしてよい表現ではありません。待たせたことでトマトのように心臓がパンパンに張ったのでしょうから。「サラダになれぬ」とは、添え書きの「柔らかなドレッシングと交わる余裕など無い心境でした」を表現したもののようですが、読者にそのように伝わりますかどうか。この状況を喩えを使って詠むこと自体が無理なもかもしれませんね。切迫しているのであれば喩えを持ち出す余裕もない筈ですからね。

添削:
「人待たせトマトの気分の18分もう限界だサラダになれぬ」(遊葉)

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