2007年1月アーカイブ

雲間より照る日の光り少なかり風も冷たく冬の憂鬱」(広)
南国で育った私にとって冬は苦手です。雨や曇りの日が続くともう日が照ることはないのかと大げさに反応して太陽を乞います。天候が悪いと気持ちもブルーになります。なかなか歌か上達しなくてすみませんが、お教えください。

冬が苦手とのことですが、大体、人は夏よりは冬が嫌いでしょう。天気が悪いと、気分がブルーになるのも、人一般の現象ですね?お作で、「光り」は動詞「光る」の連用形ではなく、名詞ですね?他所にも書きましたが、「光」で立派に普通名詞化しています。「り」は不要。「話」などもそうですね。(広さんではないですが)よく「話」を「話し」と書いた例を見ますが、いつも頭をかしげます。動詞の連用形が名詞として使われるとき、語尾の平仮名を付ける場合と付けない場合があります。普通名詞化の度合いによります(「度合い」は普通「い」と付ける。旧仮名なら「度合」でいいですが)。注意したいですね。(例えば、「光の速さ」が「光りの速さ」では、間が抜けますね?)なお、作歌の上達には慣れもあり、時間を要しますね。個人差はありますが。(教えられるものではありません。)

添削:
日の照るは雲間からのみ光弱く風冷たくて冬は憂鬱」(広)

もう一工夫

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お願い致します。
青空に仙丈ケ岳凛と立ち初雪光り冬の訪れ」(伊那佳)
紅葉の頃伊那から見た初雪です。「仙丈ケ岳」「凛」が好きです。

伊那の初雪は深秋でしたか。「初雪光り」とありますから「冬の訪れ」は余りにも当たり前では?他に詠みこみたいことはないのですか?もうひと工夫してみて下さい。

よろしくお願い致します

青空に仙丈ケ岳凛と聳ち初雪そむる深秋の郷

秋も詠みこみたいと思いました
秋・枯れる・紅葉・風・冷・寒・里・伊那等を使って考えましたが適当ではありませんでした。

「初雪そむる」は「初雪が染める」の意味でしょうね。つまり、伊那では晩秋の山に初雪がある・・・。それにしても「深秋の郷」を「初雪が染める」とは・・・?いや、「初雪が染める」のは「深秋の郷」ではなくて、「(凛と聳つ)仙丈ケ岳」のおつもりでしょうか?それですと語順がよくありません。(「初雪」とあるから、季節はあえて入れる必要はないでしょう。

改作例:
初雪にかがやきにつつ青空に凛と聳ゆる仙丈ケ岳」(伊那佳)

向かい家の電話のベルの止まざりてなんだか寂しく思える真昼」(お仙)
私の住んでいる団地は、あまり物音のしない団地です。特にお昼時は。そんな時、前のお宅から電話の音が聞こえてきました。ああ、お留守なんだと思いつつ、受け止める相手のないベルの音が虚しく聞こえました。

「止まざりて」とは?旧仮名にしても変ですし、ここだけ旧仮名というのはいただけません。一首の中での新・旧仮名の混交は避けたいものです。読んで必然性が感じられる場合はいいでしょうが、ただ野放図な混交は止めましょう。団地は静かなものなのですね。電話機の音が目立って聞こえるくらいに。電話が鳴っても出る人が居ない・・・ただ空しく鳴り続ける。(心象的にも)寂しい風景ですね。

添削:
向かい家の電話のベルが止まなくてかえって寂しく感じる真昼」(お仙)

友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日の早きことあり」(いろは)
友とのお喋りは、あっという間に時間が過ぎてしまいます。“あり”の使い方はこれでいいのでしょうか。宜しくお願いいたします。

相手が友人かどうかに拘わらず、お喋りというものは時間を食うもののようですね。「あり」の使い方はこれでいいか、とのお尋ねですが、どういう意味で「あり」を使われたか、ですね。それによって、いいとも悪いともなります。

添削:
友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日がたちまち暮れる」(いろは)

添削有難うございました。「あり」ですが、思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味で使ってみました。うまく、表現できませんが、よろしくお願い致します。

元歌での「あり」の使い方は、「思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味」とのことですが、これを聞いても、曖昧なのですね。一般的な受け取り方として、秋さえ短日と言われるわけですから、まして冬の昼間は短いわけですね。ですから、冬のひと日の経つのが早いと、わざわざ言われましても、どうでしょうね。それで、添削のようにしてみたのです。

言葉の順序

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夕映えの空をそびらに黒々と裸木の梢は繊細なりし」(アン)
細やかな枝が夕焼け空に浮き立って美しいなあと思います。

これは午後ウオーキングしているとよく見掛ける風景ですね。「黒々と」と「繊細」という写生が離れているのが気になるし惜しいですね

添削:
夕映えの空をそびらに黒々と繊細にして裸木の梢」(アン)

緻密な推敲

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「両親に社会に反抗した日々もあるとうママの瞳のやさしさ」(麻里子)
私ではなく,ママ友達のことなのですが,「ママ」でわかっていただけますでしょうか。「母」では私の母親のようでもあるし,「彼女」とするよりも,現在は母親となっていることを表したくも思い,迷いました。また,「とう」ですが…これでよろしいのでしょうか。「経て」とするよりも間接的で柔らかい表現にしたかったのですが。御指導どうぞよろしくお願いいたします。

さすがに麻里子さん、推敲も緻密ですね。「とう」より「という」でしょうね。この字余りは気になりません。あるいは・・・

添削(口語新仮名):
「両親に社会に反抗したひとも今はママです瞳がやさしい」(麻里子)

お作は説明的?

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「折々の喜怒哀楽を凝縮し三十一文字で思いを詠う」(ポエム)
日記代わりに短歌を詠うようになり、細々続けて来て、言葉を選び、リズム良く、簡単明瞭で素直な気持ちを、と思えば思うほど難しいと思う反面、その楽しさがわかりかけて来たように感じます。

歌を詠む楽しさが分かりかけてきたと言われる。日記代わりに詠むという意識から、作歌は日記代わりにもなる(日記代わりになるのは副次的な効用)、という意識になられた?お作は説明的になっていますね

添削(改作;口語新仮名):
「折々の喜怒哀楽を凝縮し記せば三十一文字(みそひともじ)になっちゃう」(ポエム)

数字の書き方

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悪夢とも思へるやうな震災の一日を思ふ12年過ぎしも」(瑞希)
あおぎり先生、こんばんは~!♪今日、1月17日は・・・日本国民にとって、忘れもしない・・・「阪神淡路大震災」の起こった日ですね。多くは、語りませんが。。。ただただ、この教訓を、今後にどう生かすかが~私達に課せられた課題でもあると思ってます。よろしくお願い致します。

歌で「悪夢」とありますが、瑞希さん(および身近な人たち)も相当な被害を蒙られたのでしょうか?次は東海、東南海大地震だそうです。それが起こったら愛知住まいのわれわれはひとたまりもないかも。阪神淡路大震災では6千人余が命を落とし、負傷者はさらに多く、家屋を失った人たちも数限りないくらい・・・。東海、東南海大地震が併せて襲ったら、その一桁増しかも。

添削(改作):
悪夢なり阪神淡路大震災十二年過ぎしても記憶まざまざ」(瑞希)

あおぎり先生、こんばんは~!添削(改作)をしていただき・・・ありがとうございました。
私は、中国地方なので・・・あの当時、震度4位だったと思います。
日本は、「地震列島」ですから・・・これからまだまだ、不安な状況が続きそうですね。
でも、離れるわけにはいかないし。。。
ところで、短歌の場合・・・「12年」と言う表記は、駄目ですよね?「十二年」ですよね。


いえ、常に十二という漢字表記でなくてはいけないということではありません。その歌の中でどちらがいいか決めるものです。ここでは漢字に挟まれているし、歌の印象から漢字がいいと判断しました。一首ごとに考えるべきことですね。

階下には来店客が在りしとうチャイムのように珈琲香り」(夏子)
私の住まいは一階が店舗,二階が自宅になっています。夫が先に店を開け、私が二階で家事や身支度などをしていると、珈琲の何とも言えぬ良い香りが漂ってきます。「お客様が来ましたよ」と知らせてくれるチャイムのように。。。以前「とう」についてご指導を頂きましたが、「と言う」の意味で詠んでみました。このように使うので良いのでしょうか?宜しくお願いいたします。

とう」は「とふ」ですね。「と言う」の意味ではありますが、これはここでの使われ方「そう言って知らせる」という意味ではなく、「そういうことだ」とか「そう呼ばれる」とかの意味なのです。ですから、このお作の場合「来客があったというチャイム」という意味にしかならず、それでは変ですね?また普通「来店客」とは言わないですね?「来客」か「客の来店」か、ですね。ともかく、階下から(ご夫君が淹れる)コーヒーが香ってくると、それが来客を知らせるチャイムのように思えるということ、よく解かります。

改作(新仮名):
階下よりくるコーヒーの香りはまた来客知らせるチャイムのようで」(夏子)

短歌を初めて3年が過ぎましたが、まだまだ分からないことばかりです。ご指導をいただきますよう、よろしくお願いいたします。
吾が家にウォッシュレットを据え付けてお年玉とぞ娘の夫は言ふ」(ちづる)
最初からトイレの歌で恐縮です。夫が欲しがっていたウォッシュレットを、娘の連れ合いが買って来て据え付けまでやってくれました。そして、私たち夫婦へのお年玉だと言うのです。とてもうれしくて歌にしたのですが、歌には不向きの内容でしょうか?娘の夫という表現も気になってはいるのですが、息子とするとうれしさの質も違ってくるように思うのです。
または語順を替えて・・・
娘の夫はお年玉とて吾が家にウォッシュレットを据え付けくれぬ」(ちづる)
いかがでしょうか?よろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いします。ウォッシュレットの普及は目覚しいですね。清潔好きの日本人の一断面でしょうね。なお、改作は説明的ですね。

添削:
我が家にもウォッシュレットを備へ付けお年玉とぞ娘(こ)の夫(つま)は言ふ」(ちづる)

備品庫でコントのようなくしゃみして綺麗な女(ひと)がすまして出てくる」(劫)
フロアの真ん中に備品庫があります。そこから変なくしゃみが聞こえて、みんなそちらを見ましたが誰が中にいるのかはわかりません。少しして、そんなコントみたいなくしゃみをしそうにない人が出てきました。本人はすまし顔で。

「コントのようなくしゃみ」と言われるのはどんなくしゃみなのでしょうか?添え書きに「変なくしゃみ」とありますが。滑稽味のあるくしゃみ?「コント」には軽妙さと風刺がありますね?

添削:
備品庫で素っ頓狂なくしゃみして綺麗な女(ひと)が澄まして出てくる」(劫)

「元旦」の「旦」

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「海越えてとどく年賀の声ちかし心はずます元旦の朝」(とよ子)
留学中の孫娘から、元日の朝早く年賀の電話がありました。すぐ近くにいるようでした、昔では考えられない事ですね。老人二人、目を細めた新年の朝でした。よろしくお願いします。

国際電話ですね。孫娘さんと話されたとのことですが、おっしゃるように直ぐ隣に居るように聞こえますね。なお、「元旦」の「旦」には「朝」の意味があります。

添削:
「海越えて女孫(めまご)の年賀の声近し心はずます元日の朝」(とよ子)

ゆで小豆百円缶を切り開けて古来伝わる小豆粥煮る」(実華)
正月十五日は昔から餅を入れた小豆粥を作り神様に供え、また頂きますます。手間暇かけず市販の缶詰の小豆からでは神様もどう思うでしょうか。

正月十五日は左義長の日でもありますね。以前は成人の日でもありました。「餅を入れた小豆粥」は美味しいでしょうね。また、今は大抵の食品は缶詰なり既製でありますね。利用出来るものは利用していいのではないでしょうか。なお、お作で「古来伝わる」という言い方は(散文的)説明的で、短歌では避けたいですね。

添削:
ゆで小豆百円缶を切り開き小豆粥煮て神に供える」(実華)

「輩と少し離れた中洲にてゆりかもめ一羽夕日に染まる」(紗柚)
水鳥を見るのが好きです。この時期は特にユリカモメ。冬空を飛んでいる姿もいいのですが川の面で休んでいる姿もかわいらしいです。夕方,川の真ん中に群れが羽を休めていました。飛んでいたユリカモメも次から次へと仲間の近くに舞い降ります。そんな中一羽だけが離れたところにある中州に降り立ちました。鳥が何を考えているかは想像するしかないですが、見方によってはぽつねんと寂しそうでもあり、逆に仲間から離れてほっと孤独を楽しんでいるようにも思えました。ここで「輩」(ともがら)という語は変でしょうか。よろしくお願いします。

お宅の近くの川にはユリカモメが飛来するのですね。一羽ポツンと離れてたたずんでいたというカモメは異端者?いやいや、たまたまの拍子でそこ(中州)へ降り立ったのでしょうね。他の仲間が視界にある限り大丈夫でしょう。それでも、人が見れば、紗柚さんが言われるようにも見えますね。「輩」は、ちょっと語感が強いし、どうでしょうねぇ。ともかく、きれいな光景ですね。

添削:
「仲間から少し離れて中洲の上ゆりかもめ一羽夕日に染まる」(紗柚)

比喩を使う難しさ

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「雲間より光の竪琴現れて冬の調べに耳を澄ませり」(紗柚)

秋の空は変わりやすいいといいますが冬空も同じです。朝晴れていたと思っていたら午後になって雲が出てきてまた夕方に青空が広がっるという日が多いです。今日もやはり午後から曇ってきました。
少しがっかりしましたが雲間から幾筋かの光が洩れて美しく竪琴のような感じがしました。静かな午後のひと時でした。


今年の冬は天気が変り易いですね。お作は少々「作った」という感じが残り過ぎているようです。喩えもここまでされるとちょっと嫌味が出ますね?改作はお任せします。

先生、申し訳ありません。「嫌味のある比喩」とか「作った感じ」とかいうことがよくわからないのですが。この光景は出かけようとして自転車に乗っているときに空を見上げて実際見たものです。
曇り空から縦向けに延びた光の筋が美しく大きなハープがあるように思えたのです。きれいな音を聞くようにうれしくなったのですが。ありのままのものを見てできたものでも作った感じを与えてしまうのは私の力不足と思いますがどうすればよいかわかりません。
できましたらアドバイスをお願いいたします。お手数をおかけします。

自分でも考えて改作してみました。

「雲間より光の弦が降りくれば優しい響きにペダルも軽く」(紗柚)

アドバイスと添削よろしくお願いいたします。

改作ではだいぶ良くなりましたね。比喩を使う難しさ、ですね。

添削:
「雲間より漏れくる光竪琴とも見えて聴き入る冬の調べを」(紗柚)

「珍しい鬮(くじ)神宮の在るを聴き祠の文字を指で撫で見る」(実華)
村(旧)の鎮守に鬮神宮があると聴き探しました。板碑合祀型供養石碑という珍しい連碑の右面に鬮神宮、左面に白旗宮としてありました。鶴岡八幡宮の源氏、山口県赤間神宮の平家に係わるものであり、双方の霊を弔い造立されたようだが、鬮神宮というのは珍しいようです。

鬮(くじ)神宮ですか。初耳です。源平に係わる神社なのですね。お作で「珍しい」とか言われなくても、「鬮」という文字で十分珍しいことがわかりますね。

改作(旧仮名):
「鬮(くじ)といふ名の神宮を探しあて祠の文字を指で撫でをり」(実華)

「窓越しに朝日さしこみぽかぽかと小春日和に笑顔こぼれる」(koihime)
あけましておめでとうごさいます。今年もどうぞご指導の程宜しくお願い致します。この歌は、晴れた日の朝日が暖かく、丸くなった猫を連想し詠いました。犬や猫が好きなのでその可愛い姿を連想しました。本日もどうぞ宜しくお願い致します。

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしく、お越し下さい。「小春日和」は「ぽかぽか陽気」のことですね。

添削(改作):
「窓越しに朝日射しこみ言うことなし小春日和に笑顔こぼれて」(koihime)

類似語の選択

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「寒中に淡い陽射しを受けて立つ冬枯れの野に光るねこやなぎ」(ポエム)
1月6日が寒の入りだtったそうですが、成人式の前日は強い風雪で大変でした。が、幸いに式当日は晴れて本当に良かったですね(うちの娘は成人式はとうに済みましたが・・)。早速、散歩に出掛けました。・・・【日差し」【陽射し】のどちらを使えばいいのでしょう?それと【吾】【我】の使い分けもよくわかりません。よろしくご指導ください。

類似語の選択は、(語の音感も含めて)短歌の中での感じから行いますね。「淡い」なら「陽射し」では強そうですね。「日差し」がいいでしょう。「我」は「われ」、「我が」なら「わ」で、「わが」ですね。「吾」は「われ」とも読みますが、ここでは「あ」と読む方を薦めています。これにより「吾」は「我」かの選択が出来ましょう。あとは短歌の中での語の感じですね。ですから、短歌ごとに考えるしかありません。新仮名短歌なら「私」「わたし」「わたくし」、男性なら「僕」「ぼく」「俺」も選択肢に入ります。お作で、語順がよくないですね。あるいは「立つ」を「立ち」にするか、です。

添削:
「寒中に淡い日差しを受けて光り冬枯れの野に立つねこやなぎ」(ポエム)

冬陽うけ水面きらめく溜池に布石のごとく鴨ら動かず」(anyanya)
水面=みずも。いつも、添削ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

「水面」は「みず(づ)も」とは読まず、「すいめん」と読まなければ「みのも」か「みなも」ですね。下二句は類型歌があるようですが、上手い表現に違いありません。「溜池」は、きれいな情景にしてはあまり印象がよろしくない用語ですね。

添削(改作):
「新春の昼の陽きらめく池の面(も)に布石のごとく鴨ら動かず」(anyanya)

「宝石を凌ぐ輝き籠りをりポンペイの医師遺しし器具に」(紗柚)
ポンペイ展に行ってきました。紀元一世紀のものとは思えない遺品の数々に驚かされました。一瞬にして平和で豊かな暮らしを奪ってしまった災害、どれほど恐ろしかったことでしょう。人々が避難し息絶えた所から多くの財宝が出てきたということですが、医師と思われる人の傍らで見つけられた医療器具の一式が展示されていました。メスやピンセッなど現代の物と変わりがありません。技術の高さに驚くとともに想像を絶する恐怖の中一人でも多くの被災者の命を救おうとした医師の思いと存在を伝えるこれらの器具の前からしばらく離れられませんでした。「遺しし」とするか「遺せし」とするか迷いました。勉強不足で申し訳ありません。御指導よろしくお願いいたします。

ナポリに近いポンペイ(遺跡)は、世界文化遺産の一つで、紀元一世紀も押し詰まるころ、近くの火山(ヴェスヴィオ山)の大噴火に伴う大量の火山灰で埋まってしまった街ですね(もちろん大勢の人々も)。今からおおよそ200年くらい前から発掘が始まり、今ではすっかりその全貌が明らかにされて、観光スポットになっていますが。そのポンペイにまつわる展覧会が開かれているのですね。それにしても医療器具が遺されていて、それが現在のものと変らないというのは驚きです。なお「遺す」は(文語でいって)サ行四段活用の動詞ですから、過去(回想)の助動詞「き」はその連用形につきますね。「し」は「き」の連体形ですが。従って、「遺しし(器具)」でいいわけです。大抵の動詞に対しては連用形に付くと考えていいのですが、例外があるのです。「せし」となるのはサ行変格活用動詞「す」に付くときで、「き」の連体形と已然形「し」「しか」は「す」の未然形に付くので「せし」「せしか」となるわけです。(ただし、終止形「き」は、「す」の連用形に付き「しき」となるからややこしいです)。カ行変格活用の「来」(「く」・・終止形)にも例外的な付き方をするから要注意ですね。ところで、お作で「輝き籠りをり」という表現はどうでしょうかね。ここでは文字通りの(光り輝くの)輝きのことですから、普通は輝きが籠もるとは言わないですね?比喩的な「輝き」、たとえば若さが輝くとか、輝く言葉とかの「輝き」なら、言わないことはないでしょうが。それとも(時代が古いから)実際は光り輝いてはおらず、比喩的に「輝き」と言われた?ここでは一応、前のように考えて添削しておきます。

添削:
「宝石を凌ぐ輝きみせてをりポンペイの医師の遺しし器具は」(紗柚)

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