2007年2月アーカイブ

満ち足りて輝きはなつ若き母みどり児抱きて匂うがごとく」(波子)
最後の言葉、ごとしなのか、ごとくなのか活用形がわかりませんが、兎に角書いてみました。昨年夏、初めての子供を出産したお嫁さんと、初孫に会ったときの感想を歌ってみました。赤ん坊を抱いて授乳してるときなど、本当に満ち足りて幸福そうで美しいと感じました。お尋ねしたいことがあります、「吾子」という意味についてなのですが、自分の子、それも幼い子と限定された意味なのでしょうか?それとも年齢に関係なく自分の子供?あるいは、すべての人の子?すみません、教えてくださいませ、ひとづつ覚えなくちゃ!

初孫とあるから、お嫁さんというのは波子さんの息子さんの嫁さんですね?「嫁」でいいですね。「赤ん坊を抱いて授乳してるときなど、本当に満ち足りて幸福そうで美しいと感じました」・・・分かります、同感です。女性が一番かがやく時でしょうね。まあ、恋愛中も輝くわけですが・・・。語法に関してですが、「ごとく」ですと「匂うがごとく・・・輝きはなつ」と繋がりますね。前に戻って係るわけですが。「ごとし」ですと「みどり児抱きて匂うがごとし」ということで、前の「輝きはなつ」との縁が語法上は切れ、意味的にも繋がりが薄れますね。それは、この自作を読まれて感じられる通りです。すると「ごとく」か「ごとし」かは、どちらがより一層詠みたかった気分なのか、の問題ですね。なお、「吾子」(あこ)は「自分の子」「作者自身の子」ということで、対象は幼児に限られませんので、(幼い子、せいぜい少年少女であることが多いにしても)作品に詠う内容(その語の流れ具合)によっては青年も含むことがあり得ますね。90代の作者が70代の息子(娘)を「吾子」というかもしれません。「吾子七十われは九十五・・・」とかですね。もちろん大変まれですが。

添削:
みどり児にお乳含ませ若き母匂ふがごとき輝き放つ」(波子)

かくれんぼして待つ我をあたふたと探す姿にいとしさ募る」(波子)
思い出や、想像の世界を詠んでもいいのでしょうか?

思い出はよく詠まれますね。想像の世界を詠む詠まないは、ご本人の好みによりましょう。読者が読んで分かるように詠まれることが前提ですが。。。このお作は、タイトルが「追憶」ですから、子供さんが幼かった頃の思い出なのでしょうね?

短歌の句読点

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添削:
突然に逝ってしまって悲しいわ。脳裏に鮮やかモモちゃんという犬」(瑞
希)

あおぎり先生、こんにちは~!♪あの・・・基本的なことなのですけど、短歌で、「句読点」はありなのでしょうか?

(和歌ではなく)現代の短歌には、作歌上の制約は原則としてありません。その歌に効果的と思われるものは使えばいいわけですね。

瞬きをするのも惜しい夕焼けにスズメの大群右へ左へ」(民子)
雨上がりの素敵な夕焼けに見惚れていたら、物凄い数のスズメがやって来ました。雨が上がったのを喜んでいるようにあっち行ったりこっち行ったり。リーダーでもいるのでしょうか、乱れることなく団体行動をとっていました。夕焼けに映え、見事な舞でした。

スズメの大群の塊が、あたかも一つの生き物のように「素敵な夕焼け」空を「雨が上がったのを喜んでいるようにあっち行ったりこっち行ったり」していたのですね。鳥の種類はともかく、結構見掛ける、すばらしい団体行動です。海でも、特に小魚がこのような集団行動をしますね。その数は鳥の比ではありません。群全体として一つの大きな生き物に見せ掛け、より大きな魚に狙われないように、つまり生存のための行動とされています。鳥の場合は必ずしもそうではないでしょうね。いや、スズメなどはそういう意味もあるのかも。こうした集団行動に特定のリーダーはおらず、お互いの動きにつられて行動しているようです。鳥や魚に限らず、人間だって、例えば大勢が荒野に放り出されれば一所に集まるでしょうね。お作「瞬きをするのも惜しい」は、言われたいことは解りますが、もう少し具体的に表現された方がいいでしょう。

添削(改作):
瞬く間もただ鮮烈な夕焼けにスズメの大群右往左往す」(民子)

固有名詞の羅列?

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アメリカの姉と交信パソコンと携帯ファックス三種の神器」(民子)
アメリカに住んでいる姉が、用事があり3月に2週間ばかり帰ってきます。それに伴う事務連絡のため、頻繁に連絡を取らざるを得ない今日この頃です。それにしても、パソコン・携帯電話のメール・ファックスと本当に便利な世の中です。どうして海を越えて外国まで瞬時に届くのか摩訶不思議です。その昔は手紙1枚出すのに飛脚が走ったのに・・・などと考えています。

ITを支えるのは電波、電子、などの不思議な作用ですね。お作は固有名詞の羅列で短歌になっているとは言い難いです。こんなにいろいろの名称を押し込んでは、三十一文字がパンクします。3月にお姉さんが一時アメリカから帰られるとのことですが、楽しみですね

残らむ 残るらん

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白木蓮(はくれん)の太古の花よ わが内の花もとこしへに咲(ひら)き残らむ」(麻里子)
白木蓮シリーズはこれでおしまいです。無理の多い歌を御指導くださいまして,どうもありがとうございました。木蓮は地球上で最古の花木で,今のような姿をとどめる一億年以上前の化石が発見されているそうです。個体としては落ちやすい花としながら「とこしへに」咲くというのはおかしいでしょうか。また,「(未来の時点で)咲き残っていることであろう」というのは,「残る」という語自体に存続の意味が含まれるので,単純に「残らむ」でいいのでしょうか。 御指導よろしくお願いいたします。

「木蓮は地球上で最古の花木で,今のような姿をとどめる一億年以上前の化石が発見されているそうです」とのことですが、驚きですね。一億年の昔でも、今と同様な花を咲かせていたのでしょうか。もしそうなら、今後少なくとも一億年は、今と同様な花を咲かせることでしょう。。。そのころ、人間はもう地上から消えているのでしょうけれど。一億年という長い年月のスパンを考えると、何度も気象の激変がありますね。最近でも地球上はずいぶんキナ臭くなってきているし、人類はとても一億年なんて続きそうにありません。来世紀さえ怪しい・・・。(95%の確率で、人類の生存は今後150万年未満、という科学理論があります。これとて十分永くはありますが。)なお、「個体としては落ちやすい花としながら「とこしへに」咲くというのはおかしいでしょうか」とのことですが、一向に構いません。「とこしへ」なのは、(花のひとつのことではなく)白木蓮として咲くことですからね。また「残らむ」でもいいですが、もう少し能動性を与えたいですね。また「とこしへ」という語には、継続の意味も含まれていますね。「残らむ」は語法としていいです。

添削:
白木蓮(はくれん)は太古より咲く。わが内の華もとこしへに咲き残るらん」(麻里子)

「残らむ」は「残る」の未然形に推量の助動詞「む」が付いた形。「残るらん」は「残る」の終止形に推量の助動詞「らん(らむ)」が付いた形。

漢字の使い方

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天城路に木々の芽吹きの音聴こゆ、たゆとう光りに山動き出す」(宋見)
光りあふれ木々に芽吹きの音を聴く天城は浅き春にざわめく」(宋見)
2月末、天城峠を越えると伊豆の海からの光りが鮮やかに山を照らし、木々の芽吹きの音が聴こえてくるように感じます。冬の眠りから山が目覚めのときを迎え、風にざわめいています。浅春の天城越えの楽しさです。

天城山と聞けば国定忠治を、また天城越えと聞けば同名の演歌(唄・石川さゆり)を連想しますが、そういうことがなくても名所なのですね。添え書き自体が大変詩的になっています。なお、前に別のところで書きましたが、「光り」の「り」は不要です。「光りて」とか、連用形として使う場合は別ですが、ここでは「ひかり」という、完全に普通名詞化した語ですので。「芽吹き」の「き」も、旧仮名短歌なら不要です。新仮名短歌なら、この語はまだ十分には普通名詞化していないと思われますから、普通「き」を残しますね。「芽吹き」。こういう時だけ口語新仮名でも旧仮名を転用するところなど、面白いですね。新仮名では「芽吹く」の連用形は「芽吹い(て)」で、語尾は「き」ではなく「い」ですから。動詞の連用形を名詞化して使う際に、口語にも旧仮名遣いが残っていますね。)なお、「聴こゆ」ですが、「きこゆ」は自然に聞えてくることですね。そういう場合は「聴」の字は適当ではないでしょうね。これは注意して聴く場合に使われる漢字ですから。「見る」と「観る」の関係のような。二首目でも「きく」とありますが、やはり自然に聞えてくることをそう言われたものですから、「聴」よりは「聞」でしょう。

添削:
天城路に木々の芽吹の音聞こゆ たゆとう光に山動き初む」(宋見)
添削:
光あふれ木々の芽吹きの音を聞く天城は早き春にざわめく」(宋見)

二首目は、注意して芽吹きの音を聞かれたものとすれば・・・
添削-2:
陽を浴びつつ木々の芽吹の音を聴く天城はすでにざわめきて春」(宋見)

梵焼の煙立ちゐる立木寺に来し方謝しつつ護符を焼べる
初詣でに去年のお札を納めに行きました。その時にお札を寺庭のおいて
感謝を込めて燃やしました。立木寺は厄避けの観音寺です。
宜しくお願いします。

「初詣でに去年のお札を納め」、それを焼くことを梵焼(ぼんせう)と言っておられますね。最後の「焼べる」の読みは「くべる」ですね。炉に薪をくべる、というときのそれ。ただ、「焼べる」(正しくは「焼ぶる」)ですと連体形ですね。ここを連体形にする必然性は感じられません。添削では語順を変えて、もっとすっきりさせます。

添削(改作):
立木寺に来し方謝しつつ去年(こぞ)の護符焼(く)べけり梵焼(ぼんせう)の煙立つ中へ」(比叡)

要注意事項

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夕闇に呑まれず光るひとところ 白妙の花は芯星(しんぼし)のごと」(麻里子)
どうもありがとうございました。白妙の白木蓮はたとえ夕闇のなかでもそこにずっと白く在って,拠り所となる芯星(北極星)のような気がしました。。。よろしくお願いいたします。

なかなか難しい設定の歌ですね。「呑まれず光る」はどうでしょうか。「夕闇に呑まれず芯星となり・・・」とか、「夕闇に光る・・」とかがいいですね。北極星を芯星と言われたのは、他のすべての星(天体)が、時間経過とともに、これを中心に回転するからなのでしょうけれど・・・。作歌を難しく考えますと、理屈っぽくなってくるから要注意ですね。

改作例:
夕闇の芯を成すごと光りをりたったひとつの白木蓮(はくれん)の花」(麻里子)

(「たった」は口語ですが、ここはこれしかないですね。)

”父”へのご指導ありがとうございました。添削していただくことの喜び、なんともいえない幸せ感をおぼえました。そして、失礼ながらその洞察力の鋭さはさすが、、、、、、と、驚嘆しています。今日は、母へ、というタイトルで詠みました。自分の幸せを追うことに終始して母への思いやりを欠いてしまい、結果元気できれいだった母が病気で半身が不自由になってしまったという背景です。(母を一人ぼっちにさせてしましました。私は一生悔いると思います。)
健やかな母の写真にきりきりと痛みおぼゆる我がなせしこと」(波子)

親は親の、子は子なりの、様々な事情がありますからね。お母さんの身近におられなかったことを「私は一生悔いる」と言われますが・・・。とはいえ、そのお心こそが大切なのかも。お作ですが、字数制限のきつい短歌に、いろいろと盛り込むことは、却って読んでわずらわしものです。何を一番詠みたいか、ですね。そこを押さえることが肝要でしょうね。

改作:
母病みて半身不随になりし見てきりきりと痛しわが親不孝」(波子)

効いていない言葉

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ひろらなる水仙卿に人の波やわらかな香り春の日に映ゆ」(千草)
先日淡路島の灘黒岩水仙卿に行ってきました、海に面した斜面に500万本の野生の水仙を観賞して参りまして、その情景を詠ませて戴きました。宜しくご教授下さいますよう御願い申し上げます。

「卿」は「郷」のミスですね。淡路島の灘黒岩水仙郷には水仙が500万本も、しかも野生で、観られるのですか。すごいですね。ただ、お作で「やわらかな香り春の日に映ゆ」ですと、香りが映えることになり、嗅覚と視覚が混同されているようですが・・・。このお作では「人の波」が効いていません

添削:
淡路島灘黒岩の水仙ら春の日に映ゆやはく香りて」(千草)

吾 と 我

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人知れず谷間に咲きぬ水仙の花楚々として吾らを迎へり」(瑞希)
あおぎり先生、こんにちは~!♪いつも、ありがとうございます。先日、お友達と一緒に・・・「淡路島の立川水仙郷」というところに、「水仙(早咲きの日本水仙)」を観に行きました。本当に、「郷」と名がつくほど・・・山奥の谷間に、水仙畑というか・・・。見事な景色が、私達の目を・・・捉えました。画像は、その一部です。今日もよろしくお願い致します。

今、どの路地でも水仙が盛りです。飽きるくらいです。お作で、「迎へり」は変です。完了を表す助動詞「り」は、「迎ふ」のような下二段活用の動詞にはつかないのです。「吾ら」は「われら」のおつもりのようですが、よくないですね。「われら」か「我ら」がいいです。

添削(旧仮名):
ひそかにも谷間に咲ける水仙の花清らかにわれらを迎ふ」(瑞希)

(中略)それから、「われら」の「吾ら」ですが、女性の場合・・・この「吾」の漢字の方がいい~ということを、聞いたことがあるのですが。。。おかしいのでしょうか?意味は、「我」と同じだと思うのですが。。。お尋ねします。

「我」(われ、わ)は「あ」と読むことはありませんが、「吾」は(あ、われ)と読みますね。ただ、どちらかというと「あ」という場合が多いし、この文字が出てくると先ずは「あ」と読んでしまうでしょう。一読で「われ」と読ませたい時は「我」か「われ」をお勧めする理由です。字面で「我」がきついなら、「われ」と平仮名で書くといいですね。

白妙の木蓮ひとつ春あらし吹くわが内にひそやかにあり」(麻里子)
実家のある横浜では,もう白木蓮がほころびかけているそうです。東京に春一番が吹いた頃,私の心の中にも同じような風が吹き荒れていました。その心の中に密やかに咲いている白木蓮のようなものに気づきました(白木蓮がどのようなものであるかは曰く言い難いのです。わかりにくくて申し訳ありません。心の旅に出ていたときのことです…)。旧仮名短歌の連作になるはずの一首目です。御指導よろしくお願いいたします。

横浜ではもう白木蓮の花がほころびかけているのですか。先日は春一番も例年よりひと月も早く吹いたり・・・、異常ですね。こちらでは花芽が見られるところです。心に吹いた春一番は白妙の木蓮の花を吹き散らすことはなかったようで、よかったですね。なお、短歌は定型に収めることが基本ですが(初心の間は特にそうかも)、それに拘り過ぎますと、結構窮屈感のある歌になることがありますので、お気を付け下さい。読んで気にならない程度の字余りは、語感にゆとりやふくらみをもたらす場合、むしろしばしば巧みに利用されますね。字足らずの方は一層注意が必要ですが。お作、麻理子さんの心奥のことを詠まれたものですね。

白妙の木蓮ひとつ春あらしの吹くわが内にひそやかにあり」(麻里子)

概念的 

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支え合いつつも傷つけ合うことの哀しみを知る人として生きて」(むぎぶどう)
私は相手(他人)に気を使いながら生きていますが、相手も私に気を使ってくれます。そうした配慮のある人間関係の中でも、(相手の言葉などで)自分の心が傷ついたり、相手の心を傷つけたりすることは避けられません。それを哀しいと思う気持ちを詠んだのですが、感傷的でしょうか…。

何度も出てくる「相手」は、(他人)とあるように、不特定の人ですね。人同士の意志の疎通は、多くは言葉を交わすことでされますが、それ故に、言葉で知らず知らずのうちに傷つけ合うということがよくあります。(最近問題となっている厚相発言なども典型的な例ですね。)お作は概念的な歌ですが、よく解りますし、決して独白にとどまってはいません。

添削:
支え合いつつも傷つけ合うこともある哀しみよ人として生きて」(むぎぶどう)

散文的?

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髪そよぎスカートなびき木々揺れる、駆けてゆく雲、春一番吹く」(劫)
散文的な歌となってしまいましたが、今日の強い風(春一番)の中で見て、感じたことを詠いました。去年よりだいぶ早く吹いたようですね。義理チョコももらえない一日でしたが。

お宅の方ではもう春一番が吹いたのですね。「義理チョコももらえない一日」と恨み節がありますが、一方歌では「髪そよぎスカートなびき」とあり、視線が主にどこに行っているのかが窺えますね。散文のよう、と言われますが、このリズムは散文ではあり得ません。。。リズムで読ませる歌なのでしょう。「髪そよぎスカートなびき木々は揺れ雲駆けてゆく春一番に」とすることも出来ますが、元の方が屈折もあって語が安易に流れておらず、いいでしょうね。このままで。

散文と短歌

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組合の芝焼き作業来ぬ人は罰金取ると衆議で決める」(実華)
今日は水利組合(農家組織)の害虫防除のための芝焼き作業の日。最近地域の協働作業に来ない人もおり不本意ながら欠席者から罰金を取ることに決まりました。農村集落も崩壊傾向で寂しいことです。

助け合い・互助の精神が廃れては「農村集落も崩壊傾向」と感じられても仕方がないですね。協力しない人には罰金を科すことも辞さない、とのお歌ですが、このままでは事実報告で、散文で書かれても大差ありません。。。「農村集落も崩壊傾向で寂しいことです」と言われる、このあたりの方が短歌になるでしょう。

添削(改作例)(新仮名):
組合の芝焼き作業に来ないなら罰金科すと決めるは易く」(実華)

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