「踏切の一時停止が楽しみに側に群れ咲く花さわやかで」(夏子)
私が時々通る踏切の側に、薄紫の紫花菜が線路に沿い花畑のように咲いています。 車が一台やっと通れる道です。いつもはあまり気にもしない所ですが、今は爽やかな花を見るのが楽しみです。宜しくお願い致します。
今は各種の花の盛りどき。わたしもウオーキングの時にデジカメ携帯でたくさん撮しています。きりがないくらいです・・・。
添削:
「踏切での一時停止の楽しみは脇に群れ咲く紫花菜」 (むらさきはなな)」(夏子)今日も添削して頂き有り難うございました。先生にお尋ね致します。推敲をしながら、 長い名前ですので紫花菜の花の名前を入れた方が良いのか迷いました。初歩的な質問でお恥ずかしいのですが、 花を題材として詠む場合に花の咲いている様子や感じたことだけでなく、花の名前は必ず入れないといけないでしょうか?
花の名前というのは、つまり固有名詞ですね。 何かにつけその物の名称など固有名詞を入れなければいけないとなると、これは煩わしい限りですね。つまり、場合(短歌作品) によりけりです。ただ、単に「花」とだけ言うより、固有名詞を入れることで具体性が出て、歌が締まる場合が多いことも事実ですが。 俳句と違って、短歌は一般的制約が少ない、いやほどんどないのが特徴の一つです。要は、一首として読んでみて(鑑賞してみて) の感じですね。一首ごとで判断すべきことです。今回のお作の場合、「紫花菜(むらさきはなな)」は音感もやわらかくて良く、 上の添削歌は(固有名詞を入れた)成功作と言えましょう。何度も読んで味わってみて下さい。
2007年4月アーカイブ
「高みから望む田面は日を追いて鏡の如く代が整う」(実華)
家の前の小高い丘から一面の田面が見渡せます。毎日登って見ていますが日を追って代 (田植えの準備の整った水田)が出来上がり鏡のようにキラキラ光っています。
いよいよ田植えシーズンですね。お作で、「田面は・・鏡の如く」とあり「代が整う」とあるのは重複感がありますね?「田面は・・ 鏡の如く整う」でいいでしょうから。
添削:
「高みから望む田面は日を追うて鏡のやうに整うてゆく」(実華)
あるいは・・・
「高みから望めば日を追ひ整うて田代(たしろ) はいよいよ鏡のごとし」(実華)
亀戸天神のすぐ近くにあるというので行ってみました。あやかろうと 墓石の破片を持っていく人がいるとのことで、
墓石全面角から欠けています。正岡子規とか斎藤茂吉とかのお墓も(行ったことが無いのでわかりませんが)
そうなのだろうかと友人と話したことです。
「普門院の墓地の右奥棕櫚の下伊藤左千夫の墓暗くあり」
(いずみ)
有名税と言えばそうなのでしょうけれど、これは道徳観の問題なのかも。墓荒らしは祟られます。。。この歌、固有名詞をたくさん入れて、
うまく纏められましたね。お作はこのままでいいですね。
「会いたくてただ会いたくて切なくて今会いたくて瞼とじらん」(蓮)
会いたくてもなかなか会う事が叶わない人を思い、
目を閉じて面影を追うことで切なさを紛らわそうと…、そういう恋心を詠んで見ました。一箇所、意味はおかしくなるとは思いますが、
瞼にするか、瞳にするかで悩みました。御指導よろしくお願いいたします
これは創作なのでしょうが、かっての経験が裏にあるのでしょうね。「とじらん」が文法的に変ですね。それに、
これだけが文語というのはいかがでしょうね。
添削:
「会いたくてただ会いたくて切なくて今会いたくて目蓋を閉じる」(蓮)
