2007年5月アーカイブ

感動が伝わるように詠む

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初めての投稿でしたが、ご添削ありがとうございました。私は、現在、 短歌とは何かと非常に迷っている状態です。ご教示いただきたいのですが、感動したことを詠み込まずに、事実や、感情だけを詠んだものは、 短歌とは言えないのでしょうか?あおぎり様のもとで、学んでいきたいと思っています。これからも、ご指導よろしくお願い致します。

散文ならいざしらず、「事実や、感情だけ」でも、何らかの感動がなければ短歌に詠もうとは思わないのでは? たとえば、写生歌など、対象がありありと読者に現前するように詠んでも、それは作者の感動が読者に伝わっている証拠ですね。また、 作者のその時の心理が風景などに投影されて短歌となっている場合もままあります。もちろん、短歌は写生に限られません。 詠むことがらとしては、無数の可能性があります。短歌は、作者の(いろいろな意味の)感動を詠むものですが、それが読者に伝わってはじめて、 短歌を詠み得た、といえますね。作者だけが感動していているのではなく(それでは独り言とかわりません)。感動を短歌に詠むとは、 作者の感動を伝える、という意味ですね。感動が伝わるように詠む、ということです。お励み下さい。

名詞化した言葉

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「箱根空木咲く山道は新緑に風も光りも潤いを渡す」(宋見)
箱根空木が伊豆の山野を彩り始めました。白い花が散り際には赤くなります。 赤は散る寸前の為に、近くで見るとみずみずしさに欠けますが、遠目には紅白咲き乱れてきれいです。 五月の山を渡る風は新緑の瑞々しさを含んでいて、潤いを持って私たちの身体をやわらかくほぐしてくれます。 光もこの瑞々しさと潤いを持っているように感じさせて、五月のさわやかさを演出しています。

箱根空木がいまお宅の周辺で盛りなのですね。今は新緑が大変うつくしいですが、 こうした花々が文字通り彩りを添えているわけですね。お作の最後「潤いを渡す」がちょっと唐突で分らないところがありますが、たぶん「譲る」 というおつもりでしょうね。ただ、ちょっと理屈っぽい?ところで、他所で幾度も書いていますが、名詞の「ひかり」は「光」として下さい。 「光り」はいかにも変です。「はなし」は「話し」ではなく「話」とするように。もちろん動詞であって、その連用形としてなら「光り」「話し」 ですが・・・。「潤い」は動詞「潤う」の連用形を名詞として使ったものですが、それはまだしっかりと普通名詞化していないからです。「光」 「話」などは完全に名詞化しています。

添削:
箱根空木咲く新緑の山道に風も光も潤ひを添ふ」(宋見)

歌の形以前の問題

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「世は移り変はるも雨の降るさまに人の心の沈むは同じ」(むぎぶどう)
世の中は移り変わっていくけれども、 雨の降るさまを見て人の心が沈むのは(世の中が移り変わっても)同じことだ。短歌雑誌に投稿して没書になった作品を、 大幅に改作してみました。

むぐぶどうさんも短歌雑誌などに投稿しているのですか。採用されるといいですね。このお作、少々観念的で(やや説明的)すね。 そういう短歌はよほど人を頷かせる内容でないと、なかなか採用されないでしょうね、歌の形以前に。。。とはいえ、 挑戦することに意味がありますね。

改作例:
「雨降れば人の心は沈鬱なり雲突きやぶるビル竣らむ世も」

語順

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「羊水に眠れるやうにヴェネツィアの埠頭のよひに波音を聴く」(むぎぶどう)
昨日の先生の推敲歌を素晴らしいと思いましたので、もう一首詠んでみました。 過去の体験をベースにしてはおりますが、想像をふくらませた部分もございます。日が暮れてしばらくの時間帯、 雄大でありながらも人を包み込むような運河のイメージを描きたいと思いました。

これも詠もうとされていることは短歌によく合いますが、語る順序が逆のようです。「ヴェネツィアの埠頭のよひに波音を聴」いていると 「羊水に眠れるやう」だ、と詠まれた方が、訴える力が増すでしょう。ご自分で推敲してみて下さい。

「ヴェネツィアの埠頭のよひに波音を聴けり胎児の眠れるがごと」(むぎぶどう)
ご指導ありがとうございます。先生のご指摘をふまえて推敲してみました。
短歌と関係ありませんが、帰省した妻子の後を追って私も千葉に行ってまいりました。 家内の実家で鰹と蛸の刺身を食べ、ビールも飲ませていただきました。

奥さんの実家で歓待を受けたのですね。

添削:
暮れてゆくベニスの埠頭に波音を聴きをり胎児の眠れるごとく」 (むぎぶどう)

時制の不一致?

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「数日前草を刈る畦に蒲公英は茎伸ばし咲く春の日あびて」(いろは)
草刈りした畦に、2~3日しか経っていないのに、たんぽぽがあちらこちらに咲いています。 生命力に驚くと共に、春風に揺れている様子が、楽しそうにみえました。宜しくお願いします。

植物、特に蒲公英(タンポポ)は逞しいですね。雑草一般がそうですが。。。お作で「数日前」(過去)とあり「草を刈る」(現在)とあるのは、 時制が一致していませんね?

添削:
「数日前草刈りし畦に蒲公英が茎伸ばし咲く春の日あびて」 (いろは)

動詞の使い方

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「飽食と引き換えに日々失くせしは体温感ず人の行き来よ」(蓮)
日本社会は経済的に豊かになりましたが それと引き換えに曲解した個人主義が蔓延したり、 日本人の美徳や価値観が失われていっているようで、 義理や人情やそういう人のぬくもりは私が幼かった貧乏な日本にはまだあったような気がします。「失くせし」が文法的によく分かりません。 よろしくお願いいたします。

物が溢れ飽食に慣れることの見返りに失ったものは多いでしょうね。「失(無)くす」は四段活用の動詞ですから、「し」は連用形「失くし」 に付き、「失くしし」ですね。ただ、それですと過去形になり、「日々」に繋がりません。「体温感ず人の行き来」の繋がりが変では? ここは連体形「感ずる」ですね。

添削:
飽食と引き換へに日々なくせるは体温感ずる人らの行き来」(蓮)

標語は短歌ではない

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  「老齢者の介護において不可欠は愛情・親切・優しき言葉」(広)
こう思って毎日母と暮らしております。

これは介護の標語にもなりそうなお作ですね?老齢者だけではなく、介護一般がそうなのでしょうね。ここではお母さんを意識してのお作ですが。 ただ、標語は(短歌の定型にはまっていても)短歌にはなりません・・・。下の形ならどうにか短歌かも。。。

改作例:
思ひ遣り、愛情、 優しき言葉など尽して母を介護する日々」(広)

疑問形は弱い?

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  「この海のとほき果てにはヴェネツィアの夕陽かがよふ運河もあるか」(むぎぶどう)
心の中で思ったことを詠んだ、虚構の短歌(うた)です。ただし、 ヴェネツィアには15年以上前に行ったことがあります。1泊しかできませんでしたが、町の美しい風景を覚えています。 私の自宅から車で少し行けば海を見ることができます。この海はヴェネツィアの運河にも通じているのだなあ、という気持ちを詠みました。

海以上に、空が頭上からヴェネチアまで繋がっています。また、すべての道はローマに通じる、と言いますね?道だって繋がっている・・・ (海路含めて)。ヴェネチアは、やはりユネスコの世界文化遺産になっていますね。お作の結句、疑問形は弱いですね? 実際そうなのですから。。。

添削:
眼前(まなさき) の海の果にはヴェネツィアの運河のありてかがよひをらむ」(むぎぶどう)

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