「中空に紋白蝶は幾重もの羽ばたきとなり耀ひにけり」(むぎぶどう)
目の前の少し高みを紋白蝶が飛んでいました。羽ばたきは日の光を受けて残像となり、 美しく輝いて見えました。
美しく詠もうとされている姿勢は分かります。しかし、お作で「幾重もの羽ばたきとなり」は、この歌の作者であるむぎぶどうさんにだけ 「羽ばたきは日の光を受けて残像とな」って幾重にも見えるのだと理解出来ます。一般には、読者は「幾重もの羽ばたきとなり」は、 何匹も紋白蝶が飛んでいるのだと解しましょう。それでもいいわけですが、「残像」ゆえの「幾重もの羽ばたき」 であることを伝えたいのであれば、そのように詠わねばならないでしょう。歌は、詠むだけではなく、 それを自ら客観的に読んでみて(現場に居合わせない一般の者の立場で読んでみて) 言いたいことが伝わっているのかを確かめることが必要です。作歌に慣れれば、そうしたチェックを自然にしつつ、 歌を詠むようになるものですが。
添削:
「日光(ひかげ)受け羽ばたく紋白蝶(もんしろ) が幾重もの残像成しつつ耀ひてをり」(むぎぶどう)
2007年9月アーカイブ
「かなかなとかなかなかなとかなかなとかなかな蝉はけふを仕舞ひぬ」(がんてつ)
このように纏めて読み返してみましたら、何処かで見たような?読んだような?そこで、 先生!良く耳にする「本歌取り」と「盗作」の違いを教えてください。「本歌取り」が何であるのか、いまひとつ理解できていません。 どうぞ宜しくお願いします。
パソコン不調で添削が遅れました。悪しからず・・・m(_._)m。
個性とか独創性とかにうるさい現代的センスでは、いにしえの「本歌取り」は大概盗作(剽窃)ととられそうですね(その当時は、 一つの作歌法であったわけですが)。今では、いにしえの「本歌取り」の和歌は、歴史的なものとして受け取り、現代的センスでの「盗作、 剽窃」といった判断はしません。あの当時では、(先人の歌をたくさんよく知っているという意味での)教養とか、 作歌力を養うひとつの手段としての意味はあったわけですね。あるいは、お遊びを主とする歌会では、著名な歌の「本歌取り」は許され、 逆に推奨されもしましょう。ですから、自作を提示する場にも関係しますね。 特徴的な表現の大部分をそっくり使うとか、 それに似せた語法をまるまる使うとか、使う言葉は違っても、 本歌を歌たらしめている表現方法、語法、思想、 詠いぶりなどをそっくり利用しても、(本歌を)真似た歌だ、と言われそうです。逆に、 まったく同じ言葉(句)を部分的に使っても、 まったく別のことを表現しているような場合は、 そこに創意が感じられる限りにおいて、「本歌取り」 ととられても盗作とはとられないでしょうね。 歌を読む側の受け取り方(読み手の側の個人差)にも依存する、微妙な問題ではあります。 ここでは、 そういうことにあまり捉われることなく、伸び伸びとお詠み下さい。
添削:
「かなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかな蝉が日を閉づるかな」(がんてつ)
(区切り方は「かなかなかな かなかなかなかな かなかなかな かなかな蝉が日を閉づるかな」)
「さらさらと心地よき音のせせらぎに秋雨降りて水音響く」(蛍窓)
家の前にある小川のせせらぎが心を癒してくれます。それも、
秋雨前線の停滞による雷雨によりゴーゴーと音をたてています。
お宅の前に小川が流れているのですか。佳き環境ですね。
雷雨でゴーゴーと音立てるのはお困りでしょうが。。。お作ですが、「心地よき音」 「せせらぎ」「水音」と、音(類似)
の言葉が三度出て来ます。それなりの効果が出ておればいいのですが、この歌ではどうでしょうか? また「さらさらと」「心地よき」
も類語の重複ととられましょう。短歌は字数制限がきついですから一字一句を無駄なく、 それでいて淀みなく(リズムをもって)
語を連ねる必要があります。ところで、添え書きを参考にしますと、このお歌は前半が通常の流れ、
後半は秋雨で水量が増えた時の流れを言っておられるようですね。内容を詰め込み過ぎでしょう。添え書きがないと、
何のことかと訝る人も出てきましょう。
改作:
「家前の小流れが初秋の雷雨受けはげしき音立て躍りて流る」(蛍窓)
