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お月見歌会投票結果 検索 管理

2006年お月見歌会はいかがでしたか?
迷倫さんの講評皆さん樂しまれたことと思います。
管理の都合上書き込みはこれでストップさせて頂きます。次回の歌会をお楽しみに!


  次の歌会をお楽しみに!
Date: 2006-11-04 (Sat)
皆さんまたお正月にでも新年歌会を開催いたしましょう。
お月見歌会、たくさんのご参加をありがとうございました。

  総評(感想)です
Date: 2006/10/29(Sun) 15:12
今年もたくさん応募戴き、有難う御座いました。<お月見>という題詠で少々窮屈だったようですが、普段のご投稿よりはのびやかに楽しんで詠っておられるようですね。どうしても深みには欠けてしまい勝ちですが止むを得ません。感想などコメント欄も繁盛していて、楽しくやっておられ、わたしが特に付け加えることもないようです。来年もこのようにお楽しみ戴けましたらうれしいです。平生のご投稿の方も宜しくお願いします。

  迷倫さんの「チョイ悪歌評」によせて
Date: 2006/10/26(Thu) 18:43
皆さんのお歌に充分酔い痴れた がんてつ でしたが、チョイ悪と仰る迷倫さんの一連の歌評には、それに輪を掛けて酔い痴れました。有難うございました。
月を歌に詠む、ただそれだけの事ですのに、ここまで深く掘り下げて吟味なさってることに感服いたしました。
尚、私の歌が 判らない とのことですが(4)に三首取り上げて頂いています。折角のお月見ですので、実生活を忘れ、ほろ酔い機嫌で詠うことでひと時を夢の世界に遊ぶことができました。

http://www16.ocn.ne.jp/~gantetsu/


  迷倫の「チョイ悪歌評」(5)
Date: 2006/10/25(Wed) 03:15
五)「詠む力」と「読む力」
このお月見歌会の特徴を「題詠歌」と「歌会」と言う視点で考えてみました。

@ 題詠歌の募集は当然にも事前にお題が決まっておりそれだけに自分で添削する時間がありネット歌会では他の人の応募した歌を見ながら投稿できる(最初の投稿者は別にして)余裕があります。しかし同じお題で詠むのですからいかに他の人と違いを出すかもっと工夫される必要があります。個性、独創性、その人らしさの勝負とも言えますまいか。

A ところが実はこの歌会は実際にはお題は明示されていません。何となく「月見」ないし「月」と言うお題が暗黙の了解になっているに過ぎません。「月見」に拘った歌の多くはテ-マが狭いので前述したように大同小異となってしまいました。「月」であれば何も秋や満月に限らず一年を通して作歌できます。「月」から離れてその年ごとにあおぎり先生からお題を出していただく方法もありましょう。

B 歌会と言う形式は短歌結社で言えばその会員、この教室で言えば
教室の投稿者による内輪の催しです。従って投稿者のプロフィ-ル、職業、詠いぶりなど一定の知識を持って読みそのことで歌の背景をより詳しく汲み取ることが可能です。例えば

「予期もせぬ死を見送りて秋冷の月のかけらを踏み毀し帰る 」(迷倫)
私が診療所の医者であることを知っている人には「死を見送る」とは急に亡くなった患者の往診であることが推定出来るでしょう。

「その動き思いのほかに早くして撮りし満月真円にあらず」(クマ親爺)
最初は作者が文さんと思われました。素晴らしい文さんの写真を皆が知っていますからその推測も可能でした。実際はクマ親爺さんと分かるとやはり「やっぱり」と納得できるのです。
歌会はこのように作者を推定する推理ゲ-ムでもあります。それは楽しみでもありますが実は日頃歌友の歌をどれだけ読み込んでいるか、顔の見えない友をどれだけ理解しているかと言うかなり高度な知的作業でもあります。
なお私的に言えば教室の大ベテランであるがんてつさん、優子さんらの歌がどれかよく分かりませんでした。いつものがんてつ風、優子節が見えなかったのは残念です。

C 一方では歌会は匿名性とコメントなしである点が教室と異なります。従って作者名やコメントに依存しないで他人に理解してもらえる一個の歌として独立性がより求められます。反面では歌の前提がないだけに評価にあたって「分かりやすさ」だけを基準に選歌すると夫々の歌が持つ奥深さを理解できないでしょう。

D 歌会のもう一つの魅力は日頃のあおぎり先生(添削者)と作者と言う二者の関係ではなく歌友どうしで歌の評価をし合える点です。正解という結論がなくても様々な異なる評価、見方を知ることが出来ます。従って感動した歌とともに、納得できない歌についてもコメントし合うことが真の友情に繫がります。「歌を詠む」だけでなく「歌を読む」力が問われることになります。ある意味で私はこの特質が歌会の持つ最も重要な要素ではないかと思います。

私のこの文章は私自身が他の方の歌を「読む」力を得ようとしたのがきっかけです。呈示した歌の解釈が全く的外れのものもあるでしょう。作者のお気持ちを傷つけたものもありましょう。それでも夫々の顔は見えなくとも歌友との距離が少し縮まった気がいたします。

歌会の最後にあおぎり先生から講評をいただけるとのことです。大変楽しみにしています。歌を読む力を向上させるために私のこのつたない文章をも先生の批評の俎上に上げていただけるとうれしいです。
ゆう子さん、大変ご苦労をおかけいたしました。



  Re[28]: 迷倫の「チョイ悪歌評」(4)
Date: 2006/10/24(Tue) 22:58
迷倫さん,面白いですぅ〜。

> 相聞歌はさっぱり詠えない私には羨ましい限りです。そんな私ですが赤面するような情念やエロチシズムを詠ったものはなく総じてロマンチックで正統派の相聞歌と言えましょう。それは即断すれば投稿者が20才代の若い人が少なく大半が中高年のオジサン、オバサン(失礼!)だからではないでしょうか。

実は,投げキッスの歌は私なんです。アメリカには,歌のようなおまじないが本当にあります。それを詠んだ単純な歌で・・・
あおぎり組は,皆上品な方ばかりなので,きわどいのは遠慮してるんですよ。私の中では,短歌はJ-POPがない時代の流行歌というイメージがあるので,ちょいエロな恋の歌もたくさん詠みたいのですが,なんか場違いな気がして・・・

迷倫さんの辛口吟醸のようなコメント,どれも読ませていただきました。
私にも,好きな materialや歌へのhow to approach があって
結構重なっていたので嬉しかったです。

  コメントありがとうございます
Date: 2006/10/23(Mon) 18:09
「過ぎし日に肩を寄せ合い見た月を今宵の肴に語らいつつ飲む」
時どき30数年前のことや子供達の小さい頃を懐かしんでは飲んでいます。
私もアンさんのお歌を拝見したときから、さすがアンさん、私の歌とは違うなと思いました。
良い勉強になりました。

九里多朗さんにコメントをいただいた
「まろやかな月は心の蟠り、怒り、虚しささえも沈める」
明治生まれの亡母が折に触れ言っていた「他人と闇夜の恐ろしさ親と月夜はいつも良い」の言葉を思い出して詠みました。

「友からの長きメールを読み終えて見上げる月の面なぜに寂しき」
中秋の名月の翌日、ネット友達から家庭崩壊寸前という内容のメールをもらいました。青白くて冷たく感じる月でした。

http://www.sun-inet.or.jp/~hohoemi/nobu/ohoku.htm


  迷倫の「チョイ悪歌評」(4)
Date: 2006/10/23(Mon) 01:37
四)酒と女とため息と
甘美な恋を詠った相聞歌が10人、お酒を飲んでいる人5人(前者と重複あり)。普段のあおぎり教室より賑やかです。

「月見ては君に寄り添いいだかれて軽いめまいにゆらめく心」
「満月に向かって左肩越しに投げキッスする願いよかなえ」
「身を削るほどに逢瀬を待ちゐしや長雨晴れし十六夜の月」
相聞歌はさっぱり詠えない私には羨ましい限りです。そんな私ですが赤面するような情念やエロチシズムを詠ったものはなく総じてロマンチックで正統派の相聞歌と言えましょう。それは即断すれば投稿者が20才代の若い人が少なく大半が中高年のオジサン、オバサン(失礼!)だからではないでしょうか。若い青春に還って詠んだ歌も多いと思います。いづれもシチュエ-ションは月と二人。それだけに次の歌のように、これはもう演歌の世界に流れてしまう甘さを持っていると思います。

「星影のまばたく空に寝待月君の肩抱き佇むしばし」

ところが次の二首はおもむきが異なり夫婦としての相聞歌です。
「過ぎし日に肩を寄せ合い見た月を今宵の肴に語らいつつ飲む」
「老い先のことには触れず夫と来て湖(みずうみ)に没(い)る月を見ている」(アン)
一首目は懐かしく青春を回顧しながら今の落ち着いた生活を見せてくれます。アンさんの歌は「人生」に分類しましたが静かに夫婦愛を詠っています。「没る月〜老い先」と言う人生の不安感を抱きながらもこれからを支えあう二人を暗示して奥行きがあります。

表現として目新しいと思ったのが次の歌です。
「秋の風君への愛に燃えている心静めてちょうどの温度」
「ちょうどの温度」と言う表現が一定の距離を置いて自分を客観化しています(彼への愛が薄いと言う意味ではなく)。大人の恋と言えるましょう。

「月なれば今宵出で来よ満ち満ちてふくよかなる汝(な)を待ちて酒酌む」
お酒を飲んでいる皆さん。皆な気持ち良さそう。下戸の私としては羨ましい限りで・・。

(追記)私のコメントで和さんの辛いお気持ちを傷つけたことと思います。チョイ悪の私に免じてお許し下さい。

  Re[22][21][18]: 満月の写真
Date: 2006/10/22(Sun) 08:38
アンさん、こんな素敵な歌を私と間違えてくれて嬉しいです(^_^)

クマ親父さん、お月様が取れましたら是非BBSの方へ(^_^)/

http://fumikohblue.at.webry.info/


  迷倫の「チョイ悪歌評」(3)
Date: 2006/10/22(Sun) 01:07
三)ウサギは跳ねたか
投稿歌に兎を詠み込んだものが9首、かぐや姫が2首合わせて11首11%の方が日本古来の言伝え、物語をテ-マにしています。お月見歌会だから当たり前と言ってしまえばそれまでですが・・。では実際どのように詠われたのだろうか。

「幼き日夢育みし月うさぎ孫らにわれも語り聞かせん」
「真ん丸の月で兎が餅を搗く斯かる絵本で昭和に育つ」
「幼い日母に抱かれて見た月はいつもまん丸うさぎも居った」
呈示は三首に限ったが数首の例外を除く多くが内容はほとんど大同小異。つまりは「お月見=兎」の固定観念の枠内で詠われている歌が多かったと言える。これでは歌としての新たな発見、創意性に乏しくなってしまう。ひねくれ者の私にはどう見ても月に兎は見えない。

では上位投票に選ばれた桐子さんはどう詠ったのか。
「十五夜にぴよんと跳ぶかも吾子の剥く耳の揃はぬリンゴのうさぎ」(桐子)
この歌の特質は何と言っても「耳の揃はぬリンゴのうさぎ」の表現にある。ここに具体があり真実性がある。この表現を通して私たちはお月見をイメ-ジ出来るしそれ以上に元気な孫の姿をイメ-ジ出来る訳だ。上記三首との違いをしっかり確認しておきたい。

歌を目前の事実からではなくイメ-ジを基に創る場合、それはいわば「虚構性」を前提にしています。日本人共通の認識である「月には兎がいる」と言うイメ-ジの範囲内だけではその旧来の虚構性をなぞっているだけと言えます。「虚構性」をさらに自由な発想や飛躍した表現が許される手段と考えれば、私たちはもっと豊かな言葉を得ることが出来るのではないでしょうか。

  クマ親父さん
Date: 2006/10/21(Sat) 23:02
またまたうっかりしてゴメンナサイ。てっきり女性の歌だと思っていて見過ごしてしまいました。写真は日が沈むのをねらって撮ろうとしたことがありましたがなんとあっという間に沈んで失敗した事がありますので今回の歌の上の句がよくわかりました。

  名乗り出て下さい
Date: 2006/10/21(Sat) 22:48
文さん私はてっきり貴方の歌だとばかり…。とても良い歌だと思いますので名乗り出て下さいませんか.迷倫さんゴメンナサイ。いつも尊敬していますのにさんを抜いたのはひとえにパソコン未熟のせいです。

  Re[21][18]: 私が気がつかなかった秀歌
Date: 2006/10/21(Sat) 21:32
私です、月のクレーターの写真を撮りたくて何度かトライしましたがなかなか思うような結果がでません、満月の場合はF16で60分の1から250分の1のシャッター速度が目安と教わりました、ほとんど日中と変わらないので驚きました。
今度の満月は来月5日、富士と満月を狙って撮影したいと思っています。

  Re[18]: 私が気がつかなかった秀歌
Date: 2006/10/21(Sat) 17:32
>「その動き思いのほかに早くして撮りし満月真円にあらず」

アンさん、これ私の歌ではありませんよ(^_^)
私もこれ、写真が好きですので、どなたか知りたいなぁヽ(^。^)

http://fumikohblue.at.webry.info/


  恥ずかしながら
Date: 2006/10/21(Sat) 11:21
9月初旬、ペルーへ旅してきました。お月見歌会の案内があったのは、帰国してまだ間もないころでした。「アンデスの月…」は、正直それに間に合わせるため急きょつくったもので、まさか選んでいただけるとは思いもしませんでした。その上、掲示板の俎上に上げていただいて恐縮しています。ちなみに以下の作品は、あまりに欲張り過ぎ、こね回しすぎのような気がして投稿しなかったものです。恥ずかしながら披露させていただきます。
「暮れなずむインカ遺跡の天空に時空超え昇る月の輝く」

  迷倫の「チョイ悪歌評」(2)
Date: 2006/10/21(Sat) 04:08
二)月に映す死生観
「人生」とは別に直接「生または死」を扱ったのは9首です。この9首のうち実に6首が上位投書歌となっていることはこの歌会の大きな特徴です。

「月明かり仄かに射し入る老ひ姑(はは)の部屋に寄り来て寝息確かむ」(和)
「おほかたの人眠りたる病室の窓の外には月の出ており」(アン)
「「名月よ」と風呂を焚きつつ呼びくれし優しき夫も幻となる」(みなと)
「病室に毎夜願ひしその月の満つるを待たず母みまかりし」

一首目の和さん、二首目のアンさんはか細い生へのいとおしさを詠っています。和さんは姑さんの寝息に亡くなった息子さんの寝息をも重ねていることでしょう。これに対し三首、四首は月を見ながら亡くなった故人を偲んでいます。「月の満ちる」とは病気の全快を意味することは明白です。
私たちは元来月の満ち欠けに応じて夫々の思いを寄せて来ました。敢えて言えば新月には不気味、暗黒、三日月には厳しさ、孤高、満月には豊穣、幸いなどのイメ-ジを重ねてきました。極端な言い方をすれば私たちは月の満ち欠けに応じて一ケ月に一回の人生や輪廻を経験しているのです。その思いを月に託し得た歌が多くの共感を得ることになっています。
なお日本人は古来から月の様々な表情を例えば既望(いざよい、16日月)、更待月(20日月)など実に豊富な表現で表してきました。短歌でも多いに使ってみたい宝箱です。

「見納めとなるやもしれずこの月を独りしみじみ万感の酒」(金の字)
金の字さん、もし実際に生い先短いご病気をお持ちなら、お酒もホドホドにされて下さい。


  私が気がつかなかった秀歌
Date: 2006/10/21(Sat) 00:09
「予期もせぬ死を見送りて秋冷の月のかけらを踏み毀し帰る 」
これは迷倫の歌でしたね。やはり体験からくる歌は説得力がありますね。下の句は心象風景でしょうね。
「その動き思いのほかに早くして撮りし満月真円にあらず」
これは文さんでなくては気がつかない発見ですね.そしてこの歌
「アンデスの月燦然と輝けり地球(ここ)に生くるを吾に問ふご と」(yoshi)
アンデスの地に立って詠われたのでしょうか。皆さんの評価を見て初めて自分の選歌の曖昧さを知りました.大変勉強になったお月見でした。ゆう子さん有難う御座いました.

  ありがとうございました
Date: 2006/10/20(Fri) 09:55
「アンデスの月…」のyoshiです。まだ初心者なのに末席を汚させていただき恐縮です。また迷倫さんにはコメントを頂きありがとうございました。皆さんの作品を拝見させていただいて、つくづく思いました。私の作品は力ばかりが入っていて、ガチガチで余裕がなく、全く面白みがないと…。短歌の勉強を始めたころ、文語、字足らず字余りなしの定型を守るようにと厳格に指導されました。そのためか、字数合わせが先に立って、歌をつくってはいるものの、歌を詠んでいないのではないか、と反省させられました。…とここまで書いて、「これもいかにも固いなぁ」と苦笑しています。

  Re[9]: 私の歌です
Date: 2006/10/20(Fri) 07:22

<世の中はこんなにまあ-るい筈もなくなんじゃもんじゃを照らす満月>
> 夢子さん有難う御座いました。「なんじゃもんじゃ」の樹は数年前にこのあおぎり教室のBBSでも話題になりました。実は私の通勤道路の近くの大樹がなんじゃんもんじゃであるとつい最近知った次第です。”なんじゃもんじゃ”〜樹なんですね!驚きました\(◎o◎)/!
でもこの名前の樹とは!”?”と興味を持ちまして検索しましたらとても素晴らしい樹なので又ビックリしました、お勉強になりました又よろしくお願いします!(^^)!

  迷倫の「チョイ悪歌評」(1)
Date: 2006/10/20(Fri) 02:55
この歌会への投稿歌の分析を通して私自身の作歌への手がかりを探ろうとこの小論を試みました。皆さんの作歌へのヒントにもなればと思います。なお特徴付けや一定の辛口批評は私の責任に属することであり、多いに異論、反論を頂ければお互いの作歌の勉強になると確信します。

一)テ-マ別特徴
投稿歌97首をテ−マの内容別に私自身の基準で分類しました。
ここで「酒を飲みながらあの人を思う」の主旨の歌は酒と相聞
双方にカウントするなど重複があるので合計は102首となります。

風景 27人(26.5%) 生活 20人(19.6%) 人生 20人(19.6%)
生死 9人 (8.8%) 相聞 10人(9.8%)
うさぎ・かぐや姫 11人(10.8%) 酒 5人(4.9%) 計102首(100.0%)

○「お月見」ないし「月」をテ-マにした歌会ですから月を詠み込んだ 叙景歌が最も多いのは当然でしょう。しかし皆が同じ月を見て詠うのですから独自性を出す工夫が一層求められます。上位9首に選ばれたのは一首のみです。

「アンデスの月燦然と輝けり地球(ここ)に生くるを吾に問ふご と」(yoshi)
この歌は風景と人生の双方に分類しましたが前半の「アンデス、地球」の言葉が壮大な印象を強くしていることは明らかです。

○月を背景とした生活の断面を詠ったのが2位を占めました。お月見行事を詠った歌はやや類型的なものが多く、生活の中の月を詠うと巾広い断面を見せてくれます。

「各々の窓より眺めるweb友と同時多発のお月見会せむ」(文)
「父さんの肩に乗せて」とねだった日月がとっても大きく見えた」
一首目は「同時多発」の言葉が気になりましたがインタ-ネットの現代生活の反映を見ることが出来ます。二首目は昔懐かしい家族が詠われています。

「その動き思いのほかに早くして撮りし満月真円にあらず」
私はこの歌に注目しました。月は一般的には静止した存在として詠われますがこの作者は撮った写真を見て動体としての月の運動を発見しています。作者だけの体験がこの歌の個性を輝かせています。

○月が人生を考える機会を与えてくれることは往々にしてあります。
生活と同じく20%でした。かなり巾広い内容を持っています。

「十代の心はライチの殻に似て輝く月を無骨に守る」(nanami)
「満月の光りに濡れて汀線を歩みつつ妻と来し方を語る」
十代の娘を詠えるのはnanamiさんしかいないと最初から思っていました。「ライチの殻」と言う柔軟な表現が新鮮です。
これに対し二首目は熟年夫婦の落ち着きがあります。

「あの月はこの世に一つ吾もまた一つの命尽くして生きる」
意気込みは解かるのですがこう大上段に構えなくてもと正直思うのですが・・・。

ほかのテ-マは次回以降とします。忌憚のないご意見をお待ちします。


  Re[13]: 迷倫さんにならって
Date: 2006/10/19(Thu) 21:58
迷倫さんや文さんのご登場でここもどうにか賑やかになりました。
この調子で皆さんもぜひ一言!

投稿に間に合わずにコメント欄に書かれてしまった
春雨さんの以下の歌もなかなか素敵ですね。

1、月を仰ぎ岳父の許しを願いたるかの日もありて銀婚式過ぐ

2、月を見つ来年君を娶ること母に告げし日の高ぶり想う

3、予期しえぬことの多けりを二人にて乗越え越しを月も見てゐしやと

結婚問題や、諸々のことを二人で過ぎてきた思いを詠んで見ました。    [2006/10/12 02:33:26]

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